祝1周年♪
2008 / 07 / 02 ( Wed )
犬まみれな日々がめでたく1周年を迎えた。うぉぉ〜パチパチパチパチ

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ネタが欲しいからって、こんなカッコ?

っつうか、1周年記念行事をやろうと思ってたのに、忘れたのよ、管理人(-。-) ぼそっ 忙しすぎてさ。祝賀記事を週末の空いてる日に上げようと思ったのに、あっさり忘れた(。_ _)

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ダレてるのぉ〜

いや、それにしても1年良く続いたよね。「継続は力なり、1年は最低、続けっからねぇ〜」という裏番の脅しと共に始まった共同ブログだが、じっさいは挫折者も出るかなとは思ってたのよ。ところが皆さん、ちゃんと書き続けてくださった。こりゃ、脅しが効いたね(-。-) ぼそっ

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姫と野生児

いちおう担当の曜日は決めたものの、義務じゃないから忙しい日は上げなくて良いよと言ったにもかかわらず、ほぼ全員が皆勤賞ってすごくない?

おなじみの犬友のなかで、ブログをやってない人をテキトー(?)に選んでスカウトしたのだが、全員がここまで律儀だとは思わなかった。なにしろ、休む日も、なぜか「今日、お休みします」って記事が上がっているのだ。

それ、上げた時点で休んでないし(-。-) ぼそっ

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おい、1年もがんばったんだから、何か出るんだろうなあ?

んだね。何か1周年記念企画やらねばね。つむぎちゃ〜ん、記念品代の予算あるぅ?(←こんなところで業務連絡)

みんな揃って、元気にこの日を迎えたかったのだが、ご存じのとおり、悲しいこともあった(T_T)
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しお爺あらためプリンスSion?!

悲しいけど、これもまた、犬にまみれる日々の最後にやってくる避けられない1ページだ。でも、やっぱり号泣するんだがね。

ディーがとっとと逝っちゃったときに、管理人は思ったのだ。ブログやってて良かったな……と。サイトに上げるために写真も一杯撮った。毎日のなんでもないできごとも徒然なるままに綴っていた。それが、いつかかけがえのない宝物になる日が犬飼いには必ずやってくる。

そんなこたー考えたくもないだろうがね。だが、その日が来たときに、少しでも後悔せずにいられるように、毎日を精一杯楽しむことが、犬まみれな日々のほんとうの意味だと思うのだよ。

っくっくそぉ〜柄にもなく、湿っぽくなっちまったぜ(T_T)
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これを見てご不浄の3文字が思い浮かぶあなたはそうとうのマニアです

とにかく、一周年企画、なにかやっちゃいまぴょ♪ ノベルティーグッズも用意しなければ……なにが良いかなぁ〜月並みだけど、クイズ? 早食い競争?(←ハンディーつけなきゃ、勝者はやる前からわかってるがな) さて、なににしようかねぇ〜(←忙しいと言ってるわりにはこういうことには時間を割く)

ともかく、まだ続くのか、という一部のため息混じりのコメントは聞こえないふりして、1周年を無事迎えた犬まみれな日々を今後とも、どうぞご贔屓にm(_ _)m
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犬がわさわさは幸せのシンボル♪

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社会化がなんぼのもんじゃい!?
2008 / 07 / 01 ( Tue )
今日も思いきり物議をかもしだしそうな話題である。

ちかごろ管理人がやたらと好戦的なのは、ものすごく忙しくてクライアントに殺意が湧いてるからなので、まっ、適当にスルーしてもらうとして、で、最近の犬の躾のトレンドである「社会化」ってやつなんだが、じつは管理人「社会化命」って議論がものすご〜く嫌いなのだ。

いやね、犬(も猫も人間もだけど)子どものときに色んな経験をさせる社会化が大事なのは知ってるよ。じっさい、我が家のツチノコ兄弟は飼い主も知らないうちに巧く社会化に成功して、おかげですごく飼いやすくて良いコたちに育ったのだ。これね、じつは管理人の犬飼い人生のなかで、唯一成功したことね。

だから、社会化をちゃんとやっておけば問題行動の少ないよいコが育つという理論には反論する気はないし、これから犬を飼う人には、社会化ちゃんとやらせんしゃいとはもちろん力説するんだがね、ただ猫も杓子も社会化、社会化って、社会化にもし失敗しちゃったら、もう終わりなんかい? ってとこがね、犬は一生成長するという犬猫屋敷理論の提唱者としては納得いかんわけだな。

少し前に「通りすがり」とか名乗るどこかの誰かさんが、コメント欄に苦情を残していった。管理人が以前の記事で、猫と犬の関係を書いたところで「まともに育った犬は、猫に攻撃したりしない」と書いたことが、どうやらお気に召さなかったようで、要約すると

「うちの犬はちゃんとしたブリーダーさんから迎え入れた子で、社会化もきちんとやりましたけど、出会い頭に子猫を殺しました。どうだ!」

って書いてお帰りになったんだが……

うちの犬は子猫を殺しました、どうだって言われてもねぇ〜(-。-) ぼそっ

子猫を殺しちゃうような飼い方してるアンタの飼い主としての資質の問題なんじゃないっすか? ってことを、ブログ1回分ぐらいの長さのレスを書いてご説明申し上げたんだが。

で、なぁ〜んか勘違いしてない? こいつって思ったのは優良犬舎からお血筋の良い犬を購入して、社会化させりゃぁそれで完璧って思いこんでる単純さがね、なんだかなぁ〜って感じがしたんだ。まっ、人間に置き換えればよくわかるんだが、お家柄が良くて、有名私立学校を優秀な成績でご卒業したからって良い人間になるかっていうとそうじゃないっていうのと同じでさ、犬だって、犬種とか育ってきた環境とは関係なく、いま幸せで、良い飼い主に良い飼い方をされている犬はね、やっぱり良い犬になると管理人は思うのだよ。

管理人がそう思うのも、けっこうたくさんの保護犬を見てきたからだ。

保護犬ってどこの馬の骨かわからない。たいていは誕生日も正確な歳もわからないぐらいだから、社会化に成功したか失敗したかなんてわかるわけがないんだよ。人間にまったく慣れてないなんて犬もざらにいる。だがそういう犬が、預かりさんや新しい飼い主のもとでどんどん成長していくのを見ると、社会化云々って議論が馬鹿馬鹿しく思えるのだ。だって社会化に失敗してても、良い犬にはなるんだもん。

まっ、いつものことだが、けっきょくのところ、管理人は「社会化」を否定してるんじゃなくて、「社会化に失敗した」ことを犬の問題行動の言い訳に使ってるやつらが嫌いなんだな。だって、愛犬がよいコになるかならないかは、けっきょく日々の暮らしかただって管理人は思うから。

社会化期って犬の一生のうちの1/10にも満たない短い期間だ。それも一度逃したら一生取り返しがつかない。その一瞬の失敗が、果たしてほんとうに犬の犬生を左右してしまうのだろうか? もしかしたら社会化を成功させていればベストになったはずの犬が、ベターで終わってしまう程度のちがいは確かにあるかもしれない。だが、社会化期に失敗しても、ベターになれる可能性がすべてなくなったわけじゃないと管理人は思うのだよ。

社会化命の人たちはね、パピーから飼う以外のオプションすら思いつかない人が多いが、いい歳したおばちゃん犬を迎え入れたことがある管理人だからこそ、納得いかない部分があるのだ。

社会化がなんぼのもんじゃい( ̄‥ ̄)=3 フン

その程度の失敗なんか、その先の長い犬生で、いくらだって取り返しはつくよ。
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どこの馬の骨かわからないコンビ

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「ありがとう」を期待する人々
2008 / 06 / 28 ( Sat )
他のボランティアの世界でも、おそらく内紛、もめ事、中傷合戦なんてものは日常茶飯事なのだと思うのだが(管理人はボランティアに関わったことがあまりないので知らない)動物保護の活動にも、やはりこの手のごたごたはつきものだ。まっ、人が多数群れてなにかをやろうとすれば、もめ事はいつでもどこでも起こるのだが、ただ動物保護に関してだけの特殊性というのはあると思う。

それは、受益者が誰かという点に起因する問題だ。

動物保護の運動の受益者はいったい誰だろう? 言うまでもないが、このボランティア活動において利益を得るのは、犬や猫などの動物だ。で、言うまでもないことだが、犬や猫は「ありがとう」って口に出しては言えない。人間の言葉を喋らないのだから「ありがとう」と言いたくても「ありがとう」とは言えないのだ。

むろん動物だってちゃんと「ありがとう」とは伝えるよ。言葉に出して言わないだけで、身振りや顔の表情でちゃんと感謝の気持ちは表現する。ただ「ありがとう」という言葉は聞けないのだ。そこに、この活動特有のごたごたの根が潜んでると管理人は思うのだ。

ボランティア活動って自発的に無償でやる活動だ。その報酬として得られるのは「良いことをした」「世間のお役に立てた」という満足感だと管理人は思うのだ。他にも「社会を変えたぞ」とか「人類を救った」とか思うことはなんだって良いんだが、要は得られるものは自身の満足感だけなのね。

で、ボランティアというのは通常良いことをするのが常なわけで、当然、誰だって満足感という報酬の裏書きとして、誉められる、感謝されるということを期待する。まあ中には、ほんとうに自分を犠牲にして良いことをして何も期待しませんって徳の高い人もいるんだろうが、少なくとも管理人みたいな煩悩が全身に詰まっているような凡人はさ、やっぱり誉められたいし感謝されたいとか、いやらしい下心があるわけだ。

で、その結果「ありがとう」と言われることを期待する。ところがだ、動物の保護活動においては少なくとも言葉にした「ありがとう」は聞けないわけね。だってさ、受益者が人間の言葉を話せないんだから「ありがとう」が聞けるわけはないっしょ?

そこにじつは動物保護活動のもめ事の根があるわけよ。

たとえば、保護された犬猫をもらいに行ってあっさり断られた里親候補者が怒るのは、「せっかくもらってやろうと思ったのに、断られるなんてムカツク」と思うからだ。じつは、この「せっかくもらってやろう」が出てきた時点で、論点が完全にずれているのだが、本人はむろんそんなことには気づかない。「せっかく〜してやろう」と思った時点で、人は感謝されることを期待する。可哀想な犬猫をもらってやるんだから、ありがとうと言われて当たり前だと思いこむ。だから「ありがとう」以外の返事が来ると腹が立つわけだ。

んでもって、その怒りのはけ口としてバッシングサイトを立ちあげたり、巨大掲示板に書き込みをしたりするわけだ。ついでに周囲の人間に、保護活動の悪口を言いふらすのも忘れない。

で、そういうことをやるとだ、それで迷惑を被るのは誰かと言うと、じつはほんらい受益者だったはずの犬猫が最大の被害者になるわけね。なぜなら、保護活動の悪口を言うことで、もらいに来てくれるはずだった里親候補者を遠ざけることになって、ますます新しい飼い主を見つけるのが難しくなるからだ。

本末転倒とはまさにこのことだ。

犬猫を救いたいという善意の行いから始まったことが、結果的にその犬猫を苦しめるってところがさ、奇妙だなと管理人は思うわけ。

じゃあ逆の立場の連中はどうだろうか? 動物を保護して、そのコたちに新しい飼い主を探そうとするほうも、じつは長年やっているうちに、人に褒められることに慣れきってしまう。自分はこんなに良い活動をしているのだから「すごい、優しい」と言われることが当たり前だと思うようになる。そうなると一切批判を聞かなくなる。「こんなに良いことをしているわたしに対して意見するって、どーいうこと!?」って感じになるわけだ。お断りの連絡をして、相手から罵倒されれば逆に言い返す。仲間うちで悪口を言いふらしたりもしちゃうかもしれない。「アタシはこんなにたくさんの動物を抱えて、ただでさえ疲れてんのよ! それなのにあれしろ、これしろって、やったことのない人間に言われたかないわよ! 人の気も知らないで!!!」

確かにアンタのたいへんさは、他人にはわからない。だが、けんもほろろに断られたり、無視される里親候補の人たちの気持ちも、じつはアンタたち、わかってないっしょ?

そういう他人の立場がわからない人間どうしが醜い争いを繰りひろげる。これがさ、動物保護の活動でよく起こるもめ事の原因だと管理人は思うわけだ。そして、その結果被害を受けるのは誰かと言うと、文句も言えない動物たちが一番の被害者になるわけね。

ほんらい、保護活動なんてものは、もらってくれる人がいなければ成り立たない。いくらせっせと犬を保護したとしても、誰ももらいに来てくれなければ単に不適切多頭飼い現場を増やすだけだ。にもかかわらず、長年保護活動に携わっていくうちに、人は犬をもらってくれる人に対して「ありがとう」と言うことより「ありがとう」と言われることに慣れてしまうのだ。だけど、たとえそれが絵文字だらけのしょーもないケータイメールだったとしても、やっぱり保護した犬に興味を持ってくれたことに対して「ありがとう」の気持ちは忘れてはいけないと思う。毎日応援しにブログを見に来てくれる人、ポチッとなをしてくれる人、自分のブログで紹介してくれる人、リンクを貼ってくれる人。ムカツクようなコメントを書いていく人にだって、やっぱり感謝の気持ちを忘れてはいけないと思うわけ。なぜなら、そういう人の小さな応援がなければさ、保護された動物を新しい家に送り出すという活動は成り立たないものなのだから。

逆に「今回は残念ですが」と言われた里親候補も、断られるという想像もしなかった悪夢を前にしても、じつは得るものがあるのだよ。希望していた犬猫は手に入らなかったが、保護活動とはどういうものか、犬を飼う場合に何が必要なのか新たな知識を授けてもらったことに対して、やっぱり感謝の気持ちは持つべきなんじゃないかって思うのだ。断られたのに感謝なんかできねーよε-( ̄ヘ ̄)と思うかもしれないが、その動物があなたの家ではなく、もっとそのコにあった家にもらわれていくことで、ほんとうに幸せになれればそれで良いんじゃないですか? もしほんとうに、そのコのことが気に入って、幸せになって欲しいと思っているのだとしたら、自分もそれに貢献できたことに満足するのだって悪くない。少なくとも、180度立場を変えて保護活動バッシングに精を出すよりはずっとマシだ。少なくとも、一瞬の怒りにまかせて犬猫を被害者にするような行いをせずに済んだなら、そのほうがなんぼかマシだと思いませんか?

動物保護がらみの醜い争いの原因は、「ありがとう」と言われることを期待する人間たちの心の有り様だと管理人は思うわけだ。もし「ありがとう」と言われたいなら、最初から「ありがとう」と言ってくれる人間が受益者になるボランティアをやりゃ良いんだよ。動物の福祉を考えて行動するボランティアでは、最初から「ありがとう」なんて聞けないものなんだから。だって恩恵を受ける動物は「ありがとう」って言えないんだもの。周りにいる人間が「ありがとう」って言ってくれるのはさ、それはおまけみたいなもので、おまけがつけば超ラッキー。おまけがついてこなかったからって文句を言うのは、ちがわねぇ?って管理人としては思うわけよ。

ところが動物保護のボランティアに関わる人間の多くは、保護して譲渡する側の人間も、もらいに来る人間も、ついでに言えば周りで騒いでるだけのサポーターも、その基本的な事実を忘れがちになる。んでもって、「ありがとう」と言われることを期待している人間って、やっぱり立場の違う端から見ると鼻につく。でけっきょくは「ありがとう」を言った、言わないで保護する側と、保護活動バッシングに精を出す側が、醜い争いを繰りひろげることになるわけだ。

んでもって唯一の被害者は文句を言えない犬猫だ。いかんね、こんなことじゃ。

動物たちは「ありがとう」とは言わないが、飼い主さんのもとでにっこり笑う笑顔が、楽しそうに生きてるその姿が、「ありがとう」の代わりになる。それを見て満足感を得られないのなら、おまけがいつもついてくるものだと、もし期待しているのであれば、最初から動物愛護の活動なんかに関わらないほうが身のためだ。少なくとも最初から関わり合いにならなければ、犬猫の足を引っぱる立場になることもありえない。主役が誰かを、どんなときでも忘れてはいけないと思うのだよ。動物愛護の活動の主役はね、決して「ありがとう」と言わないことも、忘れてはいけない。

で、けっきょくなにが言いたいかって言うと……

バッシングサイトを作りたいなら勝手にやって憂さ晴らしは良いんだが、あくまでも自分が憂さ晴らしの個人攻撃をしているという事実は忘れずにやることだ。んでもって、気が晴れたら、ちゃんと消してってちょうだいね。一瞬の怒りにまかせた暴言が、いつまでもサイバースペースに残ってると、まじめにやってる人たちが迷惑することになるんだよ。もっと迷惑するのはね、飼い主を探しているなんの罪もない動物たちだ。

んでもってそういうサイトも見る人もさ、それがあくまでも一個人が、別の一個人に対して文句を言ってる個人サイトだという事実はちゃんと見極めて欲しいわけ。自分が会ったこともない人間に対する評価をさ、これまた見ず知らずの他人の感情的な一言で決めつけないで欲しいなって思うのよ。

そしてなにより忘れずにいて欲しいのはさ、主役は誰かってことなのだ。自分がやってる行いが、主役の利益になってるか否か、判断基準はこれだけだと、管理人は思うんだがね。

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今日は吠えるぞ
2008 / 06 / 27 ( Fri )
現在管理人は不機嫌である。またしょーもない保護活動バッシングサイトを見つけてしまったからだ。ちょっと見てよ、酷くないこれ? と皆さまにお見せするのが筋なのだが、ムカツク相手のためにわざわざアクセス数を稼いでやる義理はないので、むろんリンクは貼ってやらん( ̄‥ ̄)=3 フン

一度見ただけで血圧が上がったので、健康のためにもう二度と見にはいかないし、こんどどういう方向に進んでいくかも管理人には預かり知らぬ話だが、ともかく、現時点で管理人が怒っているのは、いつもの通り、それが「動物の保護活動という詐欺行為の現実を広く世間に公表するため」というご大層な殻をかぶった単なる個人攻撃ブログだからだ。

この手のサイトにはぜったい書いてあることがある。

「これは個人攻撃を意図するものではありません。わたしのような思いをする方が二度と出ないように、皆さんに実体を知らせるのが目的です」

でも、書いてあることは単なる個人に対する中傷以外の何ものでもないのだ。○○したときにこう言われた。XXの時にこういうメールが送られてきた。そういう個人間のやりとりをネットの世界に公表して、皆さんどう思いますか? これが動物を愛する人間のやることでしょうか? と騒いでいるのだ。

この国では言論の自由というものが保証されている。だからネット上で誰かが他人の悪口を言おうが、中傷しようがやりたいのなら、本人の責任において勝手にやれば良いと思う。他人を口汚く罵ることで気が晴れるのなら勝手にやればいい。むろん、ターゲットになった方はお気の毒だと思うのだが。

ただね、単なる個人攻撃を、一般論のごとくまくし立てるのが気に入らないのだ。攻撃されてる一個人の失敗を、あたかも動物の保護活動をしている全員がやっていることのように書くその姿勢がね、管理人の怒りを沸き立たせるのである。

今回も同じだが、保護活動のバッシングサイトってたいていは、ある1個人(もしくは1団体)と関わった時の怒りを暴露したものだ。たとえばこれが、50回別々の保護団体、もしくは個人を相手に里親募集に応募して、50回同じように酷い扱いを受けたというのなら、確かに動物の保護活動じたいに意見を述べる権利はあるだろう。でも、たった1回のことでしょう? それで嫌な思いをして、そのことに文句を言いたいのであれば、それは単なる個人攻撃なのだよ。だって、その時に関わった個人が嫌いなだけなんだから。

だからね、そういう意見を述べたいのなら「わたしは○山×子というやつが大嫌いです。だからこれから○山×子の悪口を書き連ねます」と言ってやりゃぁ良いことなのだ。それを「保護活動の実体を暴く」てなことを看板に掲げて正義漢ぶってるその姿勢がね、管理人を非常にイライラっとさせるのだ。

こういう輩に限って、言論の自由だの知る権利だのを振りかざして喚くものだが、それって下等な週刊誌がさ、報道の自由を御旗に掲げて芸能人のプライバシーを侵害して悦に入っているのと同じだと管理人は思うのだよ。○○というアイドルが、深夜酒をかっくらって女といちゃいちゃしていることを知ったとしても、それは管理人が知りたい知識でもなければ、知ってためになる情報でもない。世間にはびこる保護活動バッシングサイトも、これと同じだと管理人は思う。だから無視するのが何よりで、こうして自分のブログのスペースを使って喚くこともじつはやりたくないんだが……

でも、やっぱり怒りがおさまらない。だからこうしてグダグダ書き連ねてしまうのだ(←人間、ちっちぇな、管理人(-。-) ぼそっ)

ちなみに保護活動のやり方に意見を述べることを否定しているわけではないのだよ。じっさい、今のこの国の保護活動が完璧なものかと問われたら、管理人もそうではないと答えるのはご存じのとおりだ。それはちがうっしょ? って思うことは多々あるし、改善の余地もまだまだある。じっさい、保護活動という善意のボランティアについて反対意見が出ることじたいは、健康的な風潮だと管理人は思うのだ。良いことをやっているのだからご意見無用という姿勢はね、やっぱり風通しが悪くなるし、風通しが悪い社会はどうしても偏った方向に向かいがちだ。とくに保護活動の主役である犬や猫などの動物はさ、ブログに文句を書き連ねて抗議することもできないわけで、だったら周りの人間が、ちゃんと監視して、間違ったことをしている人間には「それはちがうぜ」と言ってやるのは悪いことだとは思わない。

ただケツの穴が3ミクロンの人間が憂さ晴らしに書いてる単なる悪口が、一般論として受けとられるのがはなはだ迷惑だと思うわけだ。ある一個人の、別の一個人に対する偏った意見がさ、動物保護をしている全員に対する偏見に繋がるのが嫌なのだよ。それはいわば、あるアメリカ人に酷い仕打ちを受けた日本人が、アメリカ人というのは悪魔だと言い切るみたいな話でね、アメリカ人にも日本人にも悪魔はいれば同じように天使のような人間だっているわけだ。どうように保護活動をしている人間の中にも嫌なやつもいれば良い奴も存在する。

管理人はおかげさまで保護活動をしている知り合いが多いので、これは実体験として断言できる。動物の保護活動という良い行いをしている人の中にも、ちゃんと嫌なやつは含まれている。もし、たまたまそういう相手に当たってしまったとしたら、それは運が悪かったというだけの話なのだ。なぜなら、良識のあるきちんとしたまじめな保護活動家もね、ちゃんとたくさんいるからだ。

だが動物の保護活動というものがまだまだマイナーなこの国では、誤解する人がまだまだ多い。前述のような単なる一個人の個人バッシングサイトを見て、動物の保護活動全体に悪い印象を持つケースも多々ある。たとえばせっかく保護動物をもらおうかなと思った人が、そういうサイトを見て、やっぱり止めようと思うケースもあると思うのだ。それは保護されて、新しい飼い主を待っている動物たちの不利益になる。

だからね、管理人としてはムカッとしちゃうわけなんだ。

で、怒りのあまり悪口をさんざん書き連ねたが(ハイ、仰るとおり今日の記事はバッシングサイトを運営している個人に対する管理人の単なる個人攻撃です、はい)、管理人が言いたいことはここから先の話なんだが、前置きが長くなったので続きは明日……

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敷居がある国での犬の飼い方
2008 / 06 / 26 ( Thu )
とは言いつつも、犬猫屋敷は代々犬を室内で飼っているのだが、管理人が大きさにかかわらず犬を家の中で飼うのは、管理人が基本的にいつも室内にいるからだ。犬をそばにはべらせていると、犬のことがよくわかるようになる。言葉は通じなくても、犬の考えてることがある程度わかるようになるし、ちょっとした変化にもすぐに気づいてやれる。基本的に犬というのは仲間と一緒にいたい群れ動物なので、常に飼い主が見える場所にいることで精神的にも安定する。だからうちは室内飼いなのだ。室内飼いにする理由は、管理人のそばにいるためで、もし管理人が外で暮らす人だったら、うちの犬たちは管理人と共に外で暮らす犬になる。

四半世紀前、我が家が初代のデュークを室内で飼っていたとき、犬猫屋敷は変わり者の一家だと思われていた。20kg近くある中型犬の雑種を家の中で飼っていることじたい、とても珍しいことだったからだ。当時は猫は室内、犬は外というのが世間一般の常識で、唯一室内で飼っても良い犬は膝に載るような小型犬だけと思われていた。時代は変わって今や都市部では犬も室内飼いにするのが当然だと思う人が増えてきた。だが、それでもそれはまだ一部の人だけが共有する特殊な常識でしかないのだよ。だが保護団体の多くは、譲渡の条件に「室内飼い」を入れている。じっさいは外飼いでももらえるワンコはいるのだが、保護犬をもらうには室内飼いにしないと無理と思いこんでいる人はたくさんいる。

今の保護団体が提唱する理想的な犬の飼い方って、じつは欧米の受け売りなのだ。たとえば室内飼いもその一つで、もともと玄関で靴を脱がない国民にとっては、犬を家の中に入れることにも抵抗感はあまりない。おまけに欧米人にとってもともと犬という動物は、狩りの道具として使うための家畜であって訓練することがとうぜんの生き物だ。そういうベースがあるからこそ、犬がふつうに室内で人間と共に暮らしていける。ところがその基本的な前提を抜きにして、いきなりとにかく犬を家に入れろといくら言っても、それはこの国の文化の中には根づかないと思うのだ。

敷居がない国の文化を敷居のある国に持ちこむときには、それを根づかせるための努力が必要だと思うわけよ。

獣の肉を食べる習慣がなかった日本人も、食べ慣れた醤油味で甘辛く煮たすき焼きの登場で肉が美味しいということに気がついた。同じように、犬を室内で飼うということにも、この国なりの方法で慣らしていかねばならぬのだと、管理人は思うわけだ。別に室内じゃなくても良いんだが、要は犬が身近に常にいることのおもしろさや楽しみ方を教えずして、ぜったい室内飼いもないもんだって思うわけよ。同時に犬の室内飼いには、じっさいダウンサイドもあるわけだし。

掃除と犬のシャンプーをちゃんとしないとさ、部屋が犬臭すぎてマイタケが腐ってることにも気づかない(^_^;)

犬を室内飼いにすることのほんとうの意味ってさ、犬と飼い主の絆の問題だと管理人は思うのだ。だから絆さえちゃんとできていれば、犬が室内で暮らそうが外で暮らそうがどっちだって良いわけだ。それを「うちは外飼いにしてます」って聞いたとたんに目くじら立てて「犬は家族と一緒でしょ?! あなたは家族を外につないで飼うんですか!」って金切り声を上げて叫んでも、変なやつだと思われるだけさ。

犬を室内で飼うことが良いことなんじゃない。犬と四六時中一緒にいられることが、犬にとっても飼い主にとっても良いことなんじゃないのかな? それがほんらい室内飼いを提唱するほんとうの目的なんだと管理人は思うんだが。

処分してくれと持ちこまれる犬や捨てられる犬の多くは、いわゆる問題行動を抱えている。人間が勝手に決めた問題行動のトップファイブに必ず入ってくるのが「トイレの失敗」「家や家具を破壊する」などの室内での問題だ。犬を室内飼いにしなければ、じつは起こらない問題で飼育放棄される犬が多い現実を管理人は悲しいと思うのだ。ついでに言えば「吠え癖」や「咬み癖」だって、退屈した犬のストレス行動であることを考えると、じつは問題行動の大半は犬を室内飼いしはじめたことで起こってるとも言えるのだ。

皮肉じゃない? 管理人は実に皮肉な現象だと思うのだ。

この国には、この国なりの犬の飼い方があっても良いと管理人は思うのだ。そのひとつが外飼いなのだとしたら、それはそれで良いと管理人は思うわけ。サザエさんを見てるとさ、いささか先生の家の飼い犬は、いつも小屋の前につながれている。あれが、これまでずっとこの国の犬の飼い方で、じつは今でもこの国の人の大半はあれが犬の飼い方だと思いこんでいるのだよ。

そういう国で、犬を家のなかに連れ込むためには、それなりの努力と発想の転換が必要なんじゃないかなと、養豚場のような香しい香りに包まれて管理人は徒然なるままに思うわけだ。

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