結婚願望
|Posted:2007/04/09 14:59|Category : 管理人の独り言|
結婚したい!……と唐突に思う瞬間がある。
いや、別に目の前を白馬に乗った王子さまが通過して、巧くその捕獲に成功したというわけではむろんないのだが。ただね、独身であるということは色々社会的に問題があるわけですわ。何というか、いい歳して独り者っていうのは、やはりこう世間一般の基準から見るとはみ出しものといいますか、今はそれほど珍しくはないのだが、やはりある一定の年齢層の人に言わせると立派なおとなじゃない風に言われるわけだ。
まっ、別に管理人は世間に何と言われようがあまり気にしてはいないんだがね。やれ子どもの教育費だ家のローンだと騒いでいる友人たちを見回すと、良かった、しがらみのないわたしって世界一の幸せ者とか思ったりもするのだが……
この↑無責任さがおとなになりきれない証拠だっていう議論は置いといて、ともかく「つがい」でないことじたい管理人としてはとくに困った状況でもないのだが、ふと「いくつまで犬と暮らせるか?」と考えたとき言い知れない恐怖に襲われるのである。
中高年の自営業、しかも独身!
ぜったいにペットなんか飼っちゃいけない人間だよな、自分。こんな奴に犬くれる人、ぜったいにいないよなぁ~しかたない、次はペットショップに買いに行くか……でもペットショップで売っているのは子犬ばかりだし、それだとますます危険が危ないよなぁ~(-。-) ぼそっ
ちなみに管理人の理想の死に方は、飼っている犬猫すべてを無事見送り、派手に葬式(犬猫の葬式ね)を済ませた翌日にぽっくり逝くことなのだ。めんどうを見なければならない奴らが生きているうちは、おちおち死ぬわけにもいかない。だが人間いつ寿命がくるかわからないわけで、それを考えると怖くてペットなんてとても飼えない状況になるわけだ。
管理人の周りでも同じようなことを言っている人はたくさんいる。たいていが、自分が死んだら全財産を犬猫に遺していくような世間の基準から見るとちょっとばかし「頭のたがが外れている」類の飼い主ばかりだ。そういう人は、最後までめんどうを見られない以上、やっぱりペットは飼うべきではないとある一定の年齢になると犬猫を飼うのを諦めるようになる。
それは確かに正論だが、一方で住む家を失って処分されていく犬猫や、飼い主が見つからずにずっと縁がつながるのを待っている犬猫もたくさんいる。たとえ短いあいだでも、そういう動物たちを飼ってやれるのなら、それはそれでいいのかも、と無責任に考えてしまう瞬間もじつはある。
中には自分が逝ってしまったあと、ペットがどうなるかまるで考えずに犬猫と暮らしはじめる人もいる。じっさい、最近よく散歩の途中で見かけるのは、明らかに定年退職した直後といった風の老夫婦がやんちゃなパピーを連れて歩いている姿なのだ。そういう姿を見ていると、やっぱり管理人は心配になるのだ。大丈夫かな? ちゃんと最後までめんどう見られるのかな?
この歳になって今さら結婚する気もないし(確かにつがいであるほうが犬猫の里親にはなりやすいのだが)第一犬猫より手がかかる夫を持つのはやはりめんどうなのだが(おそらくしつけも入れにくいし、餌もドライフードだけじゃ済まんだろうし)、それはともかく、いくつまで犬猫と暮らせるか、これはとにかく管理人にとって非常に重要な問題なのだ。
将来、カイや姫を無事見送ったら、そこで打ち止めにするのかな? 近所の公園に出かけていって、他人様の犬に熱い視線を投げかける怪しいおばちゃんになるのだろうか? それとも掟破りのネット販売でやっぱり犬を買っちゃうのかな?
もしかすると、自分に万が一のことがあったときは責任もって後を見てくれる団体に所属して預かりボランティア一本でやっていくことになるかもしれない。たぶんこのコなら大丈夫だろうという年齢の老犬老猫を飼うかもしれない。またはセラピードッグつきの老人ホームに入って、そこの犬を我が物顔で私物化する嫌な婆さんになるかもしれない。
そのときになってみないと、どうするかはわからないが、猫はともかくもしまた犬を飼うのならぜったいこうしようと決めていることが一つある。
こんど犬を飼うときは、万が一飼い主が変わってもやっていける犬を育てなければいけない。きちんと最低限のしつけは入れて、誰に対してもフレンドリーで、できれば他の犬とも仲良くやっていける犬にしておかねばならない。
ただでさえ成犬というのは、なかなかもらってくれる人がいないのだ。そのうえしつけもできていない、人になかなか慣れない、多頭飼い不可ときたら十中八九新しい飼い主は見つからない。きちんと誰にでも飼える犬にしておくことは、自分に何かあったとき愛犬の命を守るための最大の防御だと管理人は思っている。こんな理想的な犬に仕上げるのは、技術も知識もない管理人にはとてつもなく難しいことなのだが、それでも次にまた新しい犬を迎えるときは、やはりやらなくてはならない最低限の責任だと思っている。
それとなるべくたくさん犬友を作っておくことだ。何十人も犬友がいれば、ひとりかふたりはとりあえず新しい飼い主が見つかるまで犬を手元に置いてくれるだろう。他力本願だが、やはり自分に何かあったら?と考えると、自分の葬式に当たり前のように車にケージを積んで来てくれるような友人がいるに越したことはないとつくづく思う。
たぶんこの先何年か立派に犬を飼えるのに、それでも諦めてしまう飼い主さんたち。家がないからという理由だけであっさり殺されていく犬たち。やっぱり子犬じゃないとダメと信じて大量生産された子犬を買いに行く人たち。そういう子犬を製造するために、小さなケージに閉じこめられて一生を終える繁殖犬たち。
何だかどうしようもなく矛盾を感じる状況だ。「犬は天下の周りもの」というのは管理人の口癖だが、じっさいそういう時代になればいいなとつくづく思うのだ。むろんペットを飼う以上、どんなことがあっても最後までめんどうを見るのが筋だが、飼い主に万が一のことがあったときは動物たちも救えるようなセーフティーネットがある社会が理想的だ。
それにしても、管理人はいくつまで犬猫と暮らしていけるのかな? 毛むくじゃらの家族がいない人生なんて寂しすぎて考えるのも嫌だな。
いや、別に目の前を白馬に乗った王子さまが通過して、巧くその捕獲に成功したというわけではむろんないのだが。ただね、独身であるということは色々社会的に問題があるわけですわ。何というか、いい歳して独り者っていうのは、やはりこう世間一般の基準から見るとはみ出しものといいますか、今はそれほど珍しくはないのだが、やはりある一定の年齢層の人に言わせると立派なおとなじゃない風に言われるわけだ。
まっ、別に管理人は世間に何と言われようがあまり気にしてはいないんだがね。やれ子どもの教育費だ家のローンだと騒いでいる友人たちを見回すと、良かった、しがらみのないわたしって世界一の幸せ者とか思ったりもするのだが……
この↑無責任さがおとなになりきれない証拠だっていう議論は置いといて、ともかく「つがい」でないことじたい管理人としてはとくに困った状況でもないのだが、ふと「いくつまで犬と暮らせるか?」と考えたとき言い知れない恐怖に襲われるのである。
中高年の自営業、しかも独身!
ぜったいにペットなんか飼っちゃいけない人間だよな、自分。こんな奴に犬くれる人、ぜったいにいないよなぁ~しかたない、次はペットショップに買いに行くか……でもペットショップで売っているのは子犬ばかりだし、それだとますます危険が危ないよなぁ~(-。-) ぼそっ
ちなみに管理人の理想の死に方は、飼っている犬猫すべてを無事見送り、派手に葬式(犬猫の葬式ね)を済ませた翌日にぽっくり逝くことなのだ。めんどうを見なければならない奴らが生きているうちは、おちおち死ぬわけにもいかない。だが人間いつ寿命がくるかわからないわけで、それを考えると怖くてペットなんてとても飼えない状況になるわけだ。
管理人の周りでも同じようなことを言っている人はたくさんいる。たいていが、自分が死んだら全財産を犬猫に遺していくような世間の基準から見るとちょっとばかし「頭のたがが外れている」類の飼い主ばかりだ。そういう人は、最後までめんどうを見られない以上、やっぱりペットは飼うべきではないとある一定の年齢になると犬猫を飼うのを諦めるようになる。
それは確かに正論だが、一方で住む家を失って処分されていく犬猫や、飼い主が見つからずにずっと縁がつながるのを待っている犬猫もたくさんいる。たとえ短いあいだでも、そういう動物たちを飼ってやれるのなら、それはそれでいいのかも、と無責任に考えてしまう瞬間もじつはある。
中には自分が逝ってしまったあと、ペットがどうなるかまるで考えずに犬猫と暮らしはじめる人もいる。じっさい、最近よく散歩の途中で見かけるのは、明らかに定年退職した直後といった風の老夫婦がやんちゃなパピーを連れて歩いている姿なのだ。そういう姿を見ていると、やっぱり管理人は心配になるのだ。大丈夫かな? ちゃんと最後までめんどう見られるのかな?
この歳になって今さら結婚する気もないし(確かにつがいであるほうが犬猫の里親にはなりやすいのだが)第一犬猫より手がかかる夫を持つのはやはりめんどうなのだが(おそらくしつけも入れにくいし、餌もドライフードだけじゃ済まんだろうし)、それはともかく、いくつまで犬猫と暮らせるか、これはとにかく管理人にとって非常に重要な問題なのだ。
将来、カイや姫を無事見送ったら、そこで打ち止めにするのかな? 近所の公園に出かけていって、他人様の犬に熱い視線を投げかける怪しいおばちゃんになるのだろうか? それとも掟破りのネット販売でやっぱり犬を買っちゃうのかな?
もしかすると、自分に万が一のことがあったときは責任もって後を見てくれる団体に所属して預かりボランティア一本でやっていくことになるかもしれない。たぶんこのコなら大丈夫だろうという年齢の老犬老猫を飼うかもしれない。またはセラピードッグつきの老人ホームに入って、そこの犬を我が物顔で私物化する嫌な婆さんになるかもしれない。
そのときになってみないと、どうするかはわからないが、猫はともかくもしまた犬を飼うのならぜったいこうしようと決めていることが一つある。
こんど犬を飼うときは、万が一飼い主が変わってもやっていける犬を育てなければいけない。きちんと最低限のしつけは入れて、誰に対してもフレンドリーで、できれば他の犬とも仲良くやっていける犬にしておかねばならない。
ただでさえ成犬というのは、なかなかもらってくれる人がいないのだ。そのうえしつけもできていない、人になかなか慣れない、多頭飼い不可ときたら十中八九新しい飼い主は見つからない。きちんと誰にでも飼える犬にしておくことは、自分に何かあったとき愛犬の命を守るための最大の防御だと管理人は思っている。こんな理想的な犬に仕上げるのは、技術も知識もない管理人にはとてつもなく難しいことなのだが、それでも次にまた新しい犬を迎えるときは、やはりやらなくてはならない最低限の責任だと思っている。
それとなるべくたくさん犬友を作っておくことだ。何十人も犬友がいれば、ひとりかふたりはとりあえず新しい飼い主が見つかるまで犬を手元に置いてくれるだろう。他力本願だが、やはり自分に何かあったら?と考えると、自分の葬式に当たり前のように車にケージを積んで来てくれるような友人がいるに越したことはないとつくづく思う。
たぶんこの先何年か立派に犬を飼えるのに、それでも諦めてしまう飼い主さんたち。家がないからという理由だけであっさり殺されていく犬たち。やっぱり子犬じゃないとダメと信じて大量生産された子犬を買いに行く人たち。そういう子犬を製造するために、小さなケージに閉じこめられて一生を終える繁殖犬たち。
何だかどうしようもなく矛盾を感じる状況だ。「犬は天下の周りもの」というのは管理人の口癖だが、じっさいそういう時代になればいいなとつくづく思うのだ。むろんペットを飼う以上、どんなことがあっても最後までめんどうを見るのが筋だが、飼い主に万が一のことがあったときは動物たちも救えるようなセーフティーネットがある社会が理想的だ。
それにしても、管理人はいくつまで犬猫と暮らしていけるのかな? 毛むくじゃらの家族がいない人生なんて寂しすぎて考えるのも嫌だな。