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子猫殺し2

自分の都合のいいころだけを鵜呑みにして、声高に主張する人間は世のなかに山のようにいるものだ。今回の坂東 眞砂子のエッセイはまさにこれの典型だろう。だが、根本的にそういう人の意見というのは他人から見ると矛盾に満ちている。それを冷静に見て検証することは、同じような誤解に基づいた行動をとっている人をいさめるためにも必要だ。

今回の騒動を見ていて、管理人はもったいないことを、とつくづく思った。少なくともこの記事は、社会に波紋を投げかけた。新聞というメディアを通して広く世間に対してペットを飼う責任について問題提起をしていると管理人は思うのだ。にもかかわらず、世間の反応は驚くほど感情的なものだった。

きのうの記事にも書いたように、管理人も坂東氏の行動には眉をひそめるひとりだが、
「鬼ババア、死ね!」

「自分が崖から落ちればいい!」

「子猫と同じように苦しんで死ね」

と書き連ねられた掲示板やサイトを見て暗澹たる気持ちになったのだ。不妊手術の履行や殺処分の問題は、単純な勧善懲悪のシナリオで解決できるものではない。感情論だけで片づけられるものでもない。そんな単純なことならば、とっくにノーキルが実現できているはずだ。

これはほんとうに「ババア、死ね」と言って済む問題なのか? 坂東 眞砂子という一個人を責めればすべてが丸く収まるのか? 

管理人はそうは思わない。

坂東氏に罰が当たって不幸な目に遭えば、それはそれで溜飲は下がるかもしれないが、けっきょく社会は何も変わらない。なぜなら、勝手な理論でペットの生殖をコントロールせず、生まれてきた命を処分する人間は坂東氏ひとりではないからだ。

ネットで検索できる「行政による犬猫引き取り処分」の統計資料によると、2003年の殺処分数は犬173,032頭に対し猫は267,214匹となっている。日本には狂犬病予防法という法律があるため、これに基づいて野良犬は行政が捕獲する義務がある。ところが猫の場合にはこの対象にはならない。つまり、1年間に処分される26万匹あまりのすべての猫が飼い主または他の人間による「持ち込み」と推測しても、おそらくまちがいではないだろう。犬の処分数は年々少しずつでも減っている。だが、猫の処分数は横ばいだ。

生まれた猫を殺している人間は坂東 眞砂子だけではないのだ。仮にひとりが5匹ずつ持ち込んだとしても5万3千人の人間が毎年猫を殺しに持ってくることになる。ひとりが10匹ずつ持ち込むとしても、のべ2万7千人ちかくもそういう人間がいることになるのだ。これが毎年繰りかえされる。そのうえ、これはセンターで処分された数だけだ。手を下すのは忍びない、と箱に入れられ、どこかの公園や河原に捨てられる子猫の数を足したなら、その数は膨大なものになるだろう。

それを考えると、遠いタヒチ住む単なる一個人が猫を崖から落としていようがいまいが、そんなことはどうでもいいという気分になる。それより自分の税金を使って、もしかすると隣の人が毎年猫を殺しているかもしれないほうが、もっと問題なんじゃないかって気分になる。

現在日本で行われている殺処分の方法は、崖から投げ捨てるのと五十歩百歩の非人道的なやりかただ(殺処分の現状について知りたい方はこちらこちらを)。残念ながらこの国でノーキルを実現できるのはまだまだ先のことだろうが、少なくとも処分方法をもう少しマシなやりかたに変えることは可能なはずだ。たとえば、殺処分方法の見直しを訴える電子署名を集めているサイトに登録するだけでも、状況を変える手助けはできる。

「子猫が可哀想」

「鬼ババア、死ね!」

と騒ぐのは、管理人にとって、一時の感情だけに突き動かされた憂さ晴らしの行為程度にしか映らない。ネットという無記名の世界で、見ず知らずの他人を罵ることはたやすいことだが、生まれたての子猫をセンターに持ち込んだり、河原に捨てる近所の人をあなたは「鬼だ、悪魔だ!」と指をさして罵れますか?

それができる人間が増えていけば、きっと捨てられる犬猫は減っていく。飼育放棄した飼い主が村八分になるような世の中になれば、望まれない命を増やさぬよう、みんなが必死になって努力するようになるだろう。だが2チャンネルやお友だちサイトで「鬼ババア、死ね!」「そうだ、そうだ」とやっていても社会は何も変わらない。

そんな暇があるのなら、署名運動をやったほうがいい。日経社に「なんであんな記事を載せたんだ!」とクレームをつけるパワーがあるなら、そのエネルギーを、どうしたらそういう不幸な動物を減らしていけるか考えて行動するほうに回した方がよっぽど世のため人のためになる。目も開かないうちに崖から落とされる子猫はたしかに哀れだが、この国では毎日同じように苦しみながら死んでいく動物たちがあとを絶たない。そしてほとんどの人はペットブームの裏側にあるその事実さえ知らないのだ。そういう話を周りの人にして回るだけでも、少しずつ状況は変わっていく。

感情論だけでは、社会を変えることなどできない。子猫が可哀想だからこういうことをすべきでないという議論は、あくまで可哀想と感じる人々だけの狭い小さな世界での正論だ。坂東氏の行いを悪と決めつけるのは簡単だが、それだけでは何も変わらない。

この記事によって、彼女が社会的制裁を受けるのなら、それはそれでよいだろう。動物を虐待する人間は社会が許さないというメッセージを同じような振る舞いをする人間に送ることができるからだ。だが、「鬼ババア、死ね!」とヒステリックに叫ぶことで、それが実現できますか? 却っていたずらにこの件を扱うことで、彼女の知名度を上げていることになりませんか?

けっきょく仲間うちで「鬼ババア、死ね!」と叫ぶことは、坂東氏の主張と同じなのだ。子猫が可哀想という思いを共有できない人たちの目から見れば、自分の都合のいいころだけを鵜呑みにして、声高に主張する人間の戯言としか映らない。

再三書いているように、管理人は彼女の行いを由としているわけではない。だが、少なくとも自分の手を汚して動物を処分しているぶん、数千円の金を払って他人に殺させている数万の無責任な飼い主よりはいくらかマシかもしれないとすら思うのだ。問題はタヒチで子猫を投げ捨てている一個人ではない。その陰に隠れて見えない多くの無名の人間なのだ。

人は神ではない。
他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。
どこかで矛盾や不合理が生じてくる。
人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。
生まれた子を殺す権利もない。
それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない
私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。
もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。

坂東氏は誤解を元にまちがった選択肢を選んでしまったのだと、管理人は思っている。そして多くの人がどうように、知らないがゆえに誤った判断を下している。

そういう人がひとりでも減るように、飼育放棄されて苦しみながら死んでいく動物たちが少しでも減るように、情報を発信することは多くの人にできることだ。ブログを通じて、会話を通して……

「鬼ババア、死ね!」と叫ぶ前に、そこのところを考えて欲しい。そうすることで、きっといつかは社会も変わっていくはずなのだから。
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テーマ : 動物愛護
ジャンル : ペット

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