折り合いをつけて生きていくこと
2008 / 03 / 02 ( Sun )
最近、仕事で地球温暖化がらみの本を読んでいる。内容自体は、まあ可もなく不可もなしって感じなのだが、自分もそのなかの一人でありながら、思い上がった人間に喝を入れてやりたい気分になった。

二足歩行でちょっと前脚が器用だからって、アタシらって何様?

昔の日本人は、自然と共存するのが巧い国民だった。自然と折り合いをつけ、自然を巧く利用して、快適な暮らしをする知恵に長けていた。物や動物にも魂が宿ると信じていて、人間以外のものを大切にすることを知っていた。そういうライフスタイルって、おそらく古代人と一緒なのだ。自然をねじ伏せるのではなく、折り合いをつけて巧く一緒に生きていく。

管理人は元ダイバーなので、かつては、しょっちゅう海に潜っていた。海に入ると、人間がいかに傲慢でそのうえ無力な存在であるかがよく判る。人間は機材がなければ水中で10分間も生きてはいられない。水温が一気に下がると、身体が麻痺して動かなくなる。ちょっと潮の流れが強くなると、前に進むことすらできないのだ。海のご機嫌が悪いときは、人はいつ死んでもおかしくない。自然というのは恐ろしい力を持っているのだ。何しろ地球が生まれてもう46億年も経ってるわけで、それだけ長く生きていたものをねじ伏せようなんて思うことじたいが大まちがいだ。

たとえば身近なところでは、犬や猫という動物もいる。彼らの身体や行動をよく観察してみると、進化ってすごいなとつくづく思うのだ。寒さをしのぎ、暑すぎる日の光を遮るために立派に進化したステキな毛皮、速く走るための脚の造り、人間とは比べものにならないほどの動体視力や聴覚、臭覚。彼らは、生き延びるためのさまざまな能力をちゃんと兼ね備えている。過酷な環境のなかで、どっちがより長く生きられるかと言えば、道具がなければ何もできない人間などより彼らのほうがよっぽど優秀だ。

ふだんは目も留めない、風景の一部だと思っている草木がなかったら、じつは人間は生きられない。彼らが光合成をすることで、酸素を作ってくれているからだ。植物や動物を食べることで、人は栄養を体内に取り込む。単純に、人間以外の動植物がこの世に存在しなければ、人は生きていくことさえできないのだ。

そのわりには、人間以外のものをすべて足蹴にして生きてる人間ってどうよ? 服という物の力を借りなければ一冬越せない動物が、万物の長だなんてお笑いぐさだね。

そんな暮らしを続けていたら、きっといつか罰が当たるね。人間以外の自然や動物を尊重することを忘れたら、そのうち大きなしっぺ返しが来るはずだ。少なくとも、管理人はそう思う。

人間以外のものすべてと、巧く折り合いをつけて生きていく。考えてみれば、これって犬猫屋敷の管理人のペット飼いの哲学だ。飼い主と一緒に暮らす動物たちが妥協点を見つけて、お互いに気持ちよく一緒に生活していく。うちの四本脚の毛むくじゃらたちは、むろん、管理人にとってはそんじょそこらの二足歩行のガキどもお子さまよりもずっと大切だし可愛いが、だからといって、奴らを人間だとは思わない。人間ではないけれど、だから粗末にして良い物だとも思わない。

人間は特別な生き物で、それ以外の自然も動物もすべて下等な物だというのは、とんでもない勘違いだね。そういう狭義な思考回路しかない人間には、そのうち天罰が下るっしょ。人間は優秀だ、素晴らしい、すべての動物の上に立つ万物の長だって言い張るのなら、その前に地球を一個作ってみてからにしなさいな。科学的に酸素を作って、何もないところから命を作って、水も食べ物も作れるようになってからにしなさいな。それができない間は、自分が万物の長だなんて勘違いはしないほうが身のためだ。

かつての日本人は、自然と折り合いをつけて生きるのが巧かった。いまの日本人は、果たしてどうなんだろうかね? 人はこの国を文明国と呼ぶけれど、文明って果たして良いものなのかどうか、小ぎれいな欲深い二足歩行動物を見ていると、ちょっと首を傾げたくなる。

テーマ:わんことの生活 - ジャンル:ペット

15:45:18 | 管理人の独り言 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
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