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行く年来る年

年末の景気づけに、メガタマゴでもかっ喰らうか、と散歩の途中でマックに寄ったら、店から客があふれ出そうな大混雑で初心貫徹できなかった大晦日の昼下がり、皆さまいかがお過ごしでしょうか?

けっきょく、年賀状はまだ手もつけてない(紅白聞きながらやろうっと)、姫さま脱出防止のために新しいバリケードを作ったために部屋はいつもにも増して混乱状態。キッチンからは、正月用の煮物の香りが漂ってくるが、きっとお節もPCの前でかっこむことになるんだろうなと思うだけで、気が滅入る。

あぁ~正月なんか嫌いです。はい、嫌いです。

とは言いつつも、ついつい、今年の一年をニュースで振りかえる、みたいな番組は観ていて、ふむふむ、今年もいろいろあったのぉ~と感慨深げな管理人だ。我が家的には、今年は犬猫の出入りが激しい年だった。

春先にはこいつがやってきて、台風のように我が家を駆けぬけてあっさり新しい飼い主さんを見つけて出ていった。
20071231a
その節は、お世話になりましたん♪

その後、七夕の日に、こいつが公園の植え込みからひょっこり顔を出して、気がつくとうちの猫4号になっていた。
20071231b
天ちゃん、きょうもゼッコーチョー! でもちょっと眠い

巡り合わせって不思議なもんだ、と今年はつくづく思う年だった。たとえば、ディーがまだ元気でいたなら、おそらくすみれを預かることはできなかった。そうしたら、すみれの里親さんや飼い主探しに協力してくださった皆さんと出会うこともきっとなかった。

七夕のあの日、たまたまあの時間に公園を歩いていなかったら、おそらく天を見つけることもなかっただろう。

犬は天下の周りもの、は管理人の口癖だが、じつは犬猫視点から見ると、飼い主は天下の周りものなのかもしれないね。犬とも猫とも、そして人間とも、偶然の出会い、運命の出会いはやっぱり大切にしなくちゃね。

あいかわらずワーキングプアだし、ものは値上がりするし、年金もたぶんもらえない暗い将来だが、色んな四つ足の毛玉と出会えて、それに付随して二足歩行の動物とも知り合えて、来年もそういう楽しい出会いがあると思うとワクワクする。

というわけで、今年もいろいろお世話になりました。来年も、皆さま及び同居している毛玉製造機の家族たちにとって楽しい1年でありますように。

よいお年をお迎えください。
20071231c
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テーマ : わんことの生活
ジャンル : ペット

ピンチ、ピンチ!

ときどき、英語にはあるが、日本語にはぴったりの言葉がなんか見つからないということがある。ちなみに、同じように日本語にはあるが、英語にはこれという言葉が見つからないなんてことも多々あるし、同じ日本語なのに、方言のなかには標準語では言い換えられない言葉というのも存在する。つまりは、言葉なんてしょせんは人間の感情や動作を表す道具であって、文化のちがいで、ない言葉なんてものも存在するのは当たり前なのだ。たとえば英語に「わびさび」を一語で表す言葉はないしね。

で、仕事をしていてまた、そんな言葉の一つにぶち当たった。"midlife crisis"(ミッドライフ・クライシス)。むろん、直訳で「中年の危機」という定訳はあるのだが、なんか管理人のなかではしっくりこない。ちなみにこの"midlife crisis"は英語ではとても頻繁に使う言いまわしだ。要は人生の折り返し地点を過ぎた40歳前後になって、衰えゆく自分の現実にはたと気づいて、いきなりあたふたしてしまうというそんな現象のことを言う(ミッドライフ・クライシスについて知りたい人は、まあここでも読んでよ)。誰にでも起こることで、アメリカ人と話していると、しょっちゅう話題に上るのだ。たとえばメタボ腹の禿げたおっちゃんが、真っ赤なスポーツカーに乗りだすとか、いきなり妙なことをやり始めた友人に「ちょっと、ミッドライフ・クライシスなんじゃないの?」と言うのはごくごく当たり前の会話だ。

日本人にだって「中年の危機」はとうぜんあるのだが、誰もが知っているごくふつうの言葉かというとやっぱり多分そうじゃない。管理人の周りにも、失踪したいだとか、派手なスポーツカーに乗りたいとかほざいている奴はたくさんいるが、それを「中年の危機」という誰もが通る一過性の時期だというとらえ方をしている人はあまりいないだろう。つまり「中年の危機」というのは「思春期」と同じように、誰でも体験する通過点なのだ。別に病気ではないし、巧く対処できる人もいれば、逆に過剰反応してしまう人もいて、人それぞれなのだが、要はそういう時期が多分誰にでもあって、にもかかわらず日本語にはそれにぴったりの誰でも知っているような言葉がないという点が、管理人としてはちょっと腑に落ちない。

ちなみに管理人は"midlife crisis"にははまっていない。なぜなら、明日の食い扶持を稼げるか心配な不安定な生活では、過ぎ去った過去を思い起こして後悔したり思い悩んでいる余裕はないからだ。「中年の危機」は感じていない管理人だが、最近「飼い主の危機」は身をもって感じている。姫ちゃんが、またもや悪い子モードに入っているからだ(T_T)

けさも、また部屋から脱走し、茶の間に置いてあったジィジのせんべいを食い散らかした。最近、吠え声もうるさいし、散歩では引っぱるし、どうもよくない徴候だなと思ったら、やっぱりやりやがった。なぜか毎年年末になるとこういう騒ぎが起こるのだ。そういえば、去年も年末にかけていろいろやらかし、管理人は頭を抱えていたことを思いだす。たぶん、年末年始で忙しくて管理人の生活や態度にいろいろ変化が起きているのだ。それを敏感に感じた姫が、妙な行動を起こすようになる。昨年までは、これにお粗相がもれなくついていたのに、今年はその点は良いコなのは喜ぶべきなのだろうが、それにしてもまさしく「飼い主の危機」である。管理人、ピィ~ンチ!

とは言っても、さっそく問題に取り組むにはちょっといまは時間がなさすぎる。とりあえずの策だけ打って、抱えている仕事をとりあえず仕上げたら、また改めてきちんと対処することにしよう。ともかく1月はじめまでにはこの仕事をあげないとね。

「中年の危機」と同じように「飼い主の危機」も犬を飼っていれば誰でも体験することだ。ちょっとやばいな。最近うちの犬、いい気になってない? 最初はちょっとした変化から始まる。イタズラが激しくなったり、飼い主の言うことを無視してみたり。そこで微調整を入れておけば、じつはたいしたことにはならないのだ。踏み外した距離が短いうちに本道に戻しておけば、戻る距離も短くて済む。

だが、あれ? あれ? と気になりつつも、たいしたことはないと見ない振りを続けていくと、ある時どうしようもなくなっている現実に気がつくことになる。そうなると一朝一夕には元には戻らない。遠く離れた本道まで犬を引きずって戻るのには、いけないことを知らず知らずに教えてきた時間の3倍、4倍がかかるものだ。

「中年の危機」も「飼い主の危機」も、別に病気ではないし、異常なことでもなく、ごくごくふつうの人が通る当たり前の道なのだ。ただ、それを知らないとそういう状況が恥ずかしいとか、そういう自分を否定したくなってしまう。否定するということは、見ない振りを決め込むということだ。中年は知らないが、少なくとも「飼い主の危機」に関していれば、問題に目をつぶって見ない振りを決め込むことは、最悪の対処法だ。

自慢じゃないが、管理人のようなフツーの犬飼いが長く犬を飼っていると「飼い主の危機」なんかしょっちゅう訪れる。そのたびに小さな微調整を重ねることで、毎回危機を回避する。やってるうちにフツーの飼い主だって、これはやばいぞというのがわかるようになる。気づくのが早ければ、それだけ早く対処ができる。早く対処すれば、戻る距離は少なくて済む。最悪の事態は回避できるのだ。

逃避はいかんよね。逃避は。逃避しても、けっきょく何も変わらない。そう思いつつも、ついつい仕事からはこうして逃避してしまう管理人なのである。
20071230a
逃避したいのなら、姫が遊んであげても良くってよ♪
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テーマ : わんことの生活
ジャンル : ペット

笑う犬の王国……仮称のままで一周年

ふと去年の日記を読んでいて、そういえばワラ犬王国をはじめてもう1年が経ったんだな、と気がついた。この1年で何をやったか、まあたいしたことはやってない。

相棒とふたり、あれこれ考えながら色んなことを試してみて、ユルユルとやっている間に、さらっと1年が経っていた。途中まで作って放置されている幻のページも山ほどあるし、そういうのをちゃんと仕上げてアップすれば良いものを、次から次へと思いつきであれこれやっているうちに1年だ。はぁ~時が経つのって早いやね。とくに歳をとると、年々1年が経つのは早くなるね(^_^;)

たぶん、やってる人間が森田健作みたいな熱い奴ならいまごろすごいサイトができていたのだ。ところが、基本的にユルユルなんでね。まっ、良いかってそんな感じになっちゃうのよ。まっ、そこんとこは、犬の飼い方と一緒でね。人間、生まれ持った性格は変えられないってことだ。

で、最近の思いつきキーワードは、迷子なのだ。迷子捜しとか、迷子札とか、その辺にちょっと力が入ってる。で、引きつづき捜索中のこはく以外にも、少しずつ必要に応じて迷子捜しのお手伝いをちょっと気合い入れてやってみようかな……と。

じっさい、先日一瞬迷子になったオスカルさまのこともさり気なく探してみたし。まあ動きだして数時間で無事見つかったので、たぶんバナーを見た人はほとんどいないと思うのだが(←じつは出稼ぎに行ってた管理人も見ていない)で、今回もしばらくこはくに同居犬ができることになった。じっさいはね、上げたとたんに「見つかりました、もういりません」って言われるのが、ほんとうは一番なんだがね。

いま、こはく用として使っているフラッシュバナーの優れものなところは、貼り替えなしで自由に情報が書き換えられて、おまけにかなり大容量の情報を一挙に流すことができる点だ。一昔前のgifのバナーよりも、スピードも速いし、いろいろな情報が書き込める。たとえば、最近こっそりうちとこで貼ってるワラ犬のバナーは、その時標示される絵によって、リンク先がちがっている。一枚のバナーで姫さんブログ犬まみれと、色んなところに飛ばすことができるわけだ。別に最新技術でもなんでもないんだけどね。ただ、いまだにバナーダウンロードしてきて、それ貼ってってやってる業界ではやっぱり画期的なんじゃないかな……と。

たとえば迷子捜し、里親探し、みんなそれぞれにバナーを作って、それを応援する人たちがせっせとそれを貼っている。それが悪いとは言わないが、それだと10頭を応援するのに、バナー10枚分のスペースがいる。節約っていう点では、1枚のスペースで10頭どころか、100頭でも1000頭でも(理論的にはたぶんできる)情報を流せたほうが便利だと思うわけだ。

たとえば、迷子捜しっていま掲示板が山ほどある。ところが数が多すぎて、ぜんぶはとても回れないし、じゃあどこに書けば一番良いのか、それが誰にもわからない。里親探しに関しては、いつでも里親募集中がいまや押しも押されもしない業界トップだし、そういう点ではかなり整理されてきてるんだが(そういえば、最近里親会情報のページもできたみたいでっせ、Check it out!)、整理できるところ、合理的にやっていけるところって、まだまだ多いと思うわけだ。ほら、管理人って合理的なの好きだし♪

とは言っても、なんせ人手不足なわけで、まだいまの時点では派手になにかをはじめるってわけじゃないんだが、まあ要は何を言いたいかって言うとだな、こはくのバナー貼ってたつもりが、ある日見たら、おい、他の犬もいるじゃん?!みたいなことが、今後起こりますよ……ということで。屋敷経由で御協力いただいている皆さまには、いちおうご連絡しとくのが筋かな……と。

じゃあ、なんで迷子なの? と言うと、たぶん年間処分される16万頭のなかに、けっこう単なる迷子って多いんじゃないかなと思うからなのだ。世間の人は、自分の家の犬が迷子になっても探し方を知らない。どこに連絡すればいいかを知らない。迷子札もつけてない。そのうち帰ってくるだろうとのんびりしているうちに、けっきょく愛犬は処分されてたなんてことも多いんじゃないかと思うのだ。なかには、もちろん幸運にも助けてもらえる犬もいる。だが、そのコたちが助かって、無事新しい飼い主を見つけるということは、総合的に見ると、貴重な保護犬枠を1個使ってしまうことになるのだよ。ほんらいなら、元の飼い主がそのまま飼ってくれるはずの犬が、他の家の飼い犬になることで、もうぜったい行き場のない、棄てられた犬が入れたはずの枠が消えてしまうのだ。

これって無駄じゃない? 飼ってくれる人がいる犬は、元の飼い主のもとに戻してあげるのが一番じゃないかな。犬にとっても人間にとっても。もちろん、最初から迷子にしないっていうのも大切なんだがね。ただ、前にうろうろブログにも書いたように、迷子捜しって《ミツバチハッチ》的要素が多分にあると思うのだ。情報の流れがスムーズになれば、出会える確率は高くなる。これは里親探しも一緒だがね。犬と人間、生き物どうしの出会いというのは、出会えるチャンスをいかに作るか、これにかかってる気もするのだ。

迷子は地域性が高い問題だから、じつはネットというのはそれほど効率の良いやり方ではない。たとえば北海道の迷子情報を沖縄の人が見ても、じっさいは何もできないのが現実なのだ。でも逆に言えば、北海道の人のブログを沖縄の人も見ているかもしれない。たまたま見たブログに、同じ町内で迷子になっている犬が載っているかもしれない。それほど確率が高い方法ではないにしろ、いまの掲示板乱立よりは少しはマシなのかなと。そんなふうに思う今日この頃なのだ。

年末年始、じつは迷子の犬が大量に出る季節だ。民族大移動があるし、大掃除だなんだで人間もバタバタしているし。これで雪なんぞ降った日には、遊ばせたいから放したら、そのまま犬は行方不明なんてことも多々ある。皆さん、くれぐれも注意いたしましょう。

というわけで、来年のキーワードは、迷子かな? まっ、管理人のことだから、また途中で気が変わるかもしれないがね(笑)
20071229a
迷子札とうんP袋、出かけるときは忘れずに♪
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テーマ : わんことの生活
ジャンル : ペット

サンタがうちにやって来た……と思いこんだ犬がいた

出稼ぎから帰ってくると、部屋に破片が散らばっていた。

20071227a


むむっ、( ̄‥ ̄)=3  もしや、この色は……

や・ら・れ・た!

20071227b

管理人の外出中にどうやらお腹が空いたらしい。ふと見ると、部屋には未開封のフードの袋が置いてあった。

お腹空いたわぁ~コングのおやつも、ぜんぶ食べちゃったし。管理人さん、何時に帰ってくるのかしら? このまんまだと、姫、行き倒れちゃうかもしれないわぁ~あら? あそこに立てかけてある、あれはなに?

やっだぁ~サンタさん、こんなところにプレゼント置いてってくれたのね? ひと言いってってくれればいいのに。姫、こんなところにプレゼントが置いてあるの、気がつかなかったわぁ~【←飼い主注/フードはじつは1週間前からそこにずっと置いてある】 でも、あれね。サンタさんも気が利かないわよね。ご飯だけじゃなくて、おかずも一緒に置いてってくれればいいのに。ご飯だけ食べろって言われてもねぇ~おかずがないと、そうたくさん食べられるってもんじゃないわよ。せいぜいどんぶり3杯が限界ね。でも、お腹空いてることだし、せっかくだから、いただいちゃいましょっと♪

ゴォーゴォーゴォーウゴゴゴゴォー

あぁ~美味しかった。満足♪ これで管理人さんが帰ってくるまでお腹も保ちそうだわ。じゃっ、お腹も一杯になったことだし、お昼寝とかしちゃおうっかなぁ~♪

てなわけで、数時間後に管理人が戻ったときは、みごとに口の開いたフードの袋と、ツチノコそっくりの体型になった、愛犬が管理人の帰りを待っていたのである。

まあね、油断した管理人が悪いのだ。最近、すっかり飼い犬生活に慣れてきて、トッピングをのせてやらないと、ドライフードだけじゃフンと横向いてハンストするようになった姫なので、フードをそのまま放置してもぜったい大丈夫だとたかをくくっていたのだ。だが、山の手生活(←大嘘)にすっかり馴染んだように見えても、やはりビーグルはビーグルなのである。腹が空いたらなんだって食べる。そこに食物があれば、やっぱり食べてしまうのだ。

でも、吐く前に止めたところは姫にしては感心と、妙なところでありがたがるところが、さすがだめ飼い主歴が長いだけのことはある。人間、いろいろな経験をしていると、小さなことにも喜びを見いだせるようになるものだ。

偶然かどうかは知らないが、姫は、3年前のきょうも、やっぱり食べ放題を満喫していた。姫にとって年末の食べ放題バイキングは、年に一度のお楽しみなのだろうか? 来年は年末近くなったら、厳戒態勢をとらねばならんなと管理人は堅く決心したのである(←でも、きっと忘れる(^_^;))。

それにしても、年の瀬だというのに、まったく姫は最後まで目一杯やらかしてくれる。と言うより、今年管理人はいったい何度「やられた!」と叫んだことだろうか? こんなんじゃいかんな、こんなじゃ。と思いつつも、きっと来年も大して変わりはないのだろう、とあまり明るくない未来を予測して深いため息をつく管理人なのである。

20071227C
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ジャンル : ペット

サンタがうちにやって来た

クリスマスも終わり、世間は一気にお正月モードである。まっ、管理人には関係ないけどね(-。-) ぼそっ

今年は年賀状も作ってないし(会社で年賀状担当重役に任命されたおかげで、もうしばらく年賀状は見たくないモード)、管理人はきっと節目もなくこのままだらだらと新年を迎えるにちがいない。あぁ~ため息。

忙しすぎて、うちのコたち用のクリスマスディナーの素材を調達するのを忘れたために、我が家のクリスマスはじつに質素なもんだった。ふだん通りの食餌にちょっと豪勢なおやつが振る舞われた程度で、不満そうな犬たちには、うちは仏教徒だとよく言って聞かせた。サンタさんはね、クリスチャンの家にしか来ないの。うちは、お盆にご先祖さまが来るでしょう? だから良いじゃん(←良くないと思う)。それに、クリスマスイブにあんかけ焼きそば食べてる家もあることだし(-。-) ぼそっ

ところが、サンタさんはやっぱり仏教徒の家にもやってきたのだ。なぜか郵政公社の制服を着ていたが、クリスマスプレゼントを持ってくる人は、だれがなんと言おうとサンタさんだ。

で、届いたクリスマスプレゼントがこれ↓
20071226a

わぁ~お、不気味(-。-) ぼそっ

他人からプレゼントをもらっておいて、不気味っていうのも失礼な奴だが、なにしろ送ってくれた本人からこんなメールが来たのだ。

「ところで、不気味なおもちゃ、届いた?」

……不気味だってわかってて、送ったんかい!?

ちなみに、これを買うときに、隣にものすごくかわいいクマさんのぬいぐるみなんかもあったらしい。にもかかわらず、敢えて犬猫屋敷用にはこれを選ぶところが彼女のセンスの良さである。ちなみに、その店にはいかにも、いま絞めましたみたいなゴム製のニワトリのおもちゃも売られていて(↓こんなん)そっちにしようかそうとう迷ったようである。

まっ、たぶん姫さんはこれも好きだとは思うがね。野生の血が沸騰してきっと狂ったように振り回すと管理人は思ふ。

それはともかく、人間の目から見るといかに不気味なおもちゃであろうと、犬にとってはやっぱり嬉しいプレゼントである。カイも姫も、いただいたおもちゃがそうとう気に入ったようで、さっそく嬉しそうにピーピー鳴らして遊んでいた。

20071226b
ぼくのおもちゃ!

いくつになっても、犬は犬。新しいおもちゃをもらえば、夢中になって子犬のように遊びだす。

ひとしきりカイが遊んだあとで、姫にも与えてみたところ……
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大盛り上がり♪

いやはや、Gしおんさま、けっこうなものをありがとうございましただ。今年はクリスマスになにも買ってやらなかったから、ワンコたちには、これが唯一のクリスマスプレゼント。

で、このおもちゃ、アメリカ製の知育玩具なんだが(服を脱がせることができるのだ!)、見ていて、アメリカ製のおもちゃに比べると、日本のものってやっぱりなんでもかわいいよなとつくづく思った。うちは、けっこうアメリカの通販で直接買ったり、おみやげにもらったりでアメリカ製のおもちゃがたくさん転がっているのだが、値段が安くて丈夫なのは良いものの、日本人の目から見るとどれもデザインがイマイチ。

たとえば値段が安かったので思わず買ったピーピーおもちゃのこいつとか
20071226d
無性にかわいくないんだが、なぜか姫さんの大のお気に入り

でもこれまでで一番ぶったまげたのは、やっぱりこれだな。
20071226e
なっ……なんなんだろうか、このなぞの生物は?

友人がハワイみやげに買ってきてくれたものなのだが、見た瞬間「なんじゃ、こりゃ?」と思わずのけぞってしまった。いまはさすがにしっかり穴が開いているものの、保ちは抜群に良かった。デカ犬たちが思いっきり囓ってもビクともしない丈夫さは嬉しいが、それにしても、やはりかわいくなさすぎる(涙)

アメリカで、日本のキャラクターグッズが爆発的に売れるのもとうぜんだ。だって、これに比べたらキティーちゃんなんて信じられないほどかわいいもの。
20071226f
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テーマ : わんことの生活
ジャンル : ペット

クリスマスって……

どうやら世間はクリスマスらしい。シャンシャン、シャンシャン、まったくうるさくて腹が立つ。おまけに、どうやら連休でもあるらしい。だから、なんだっちゅうの

( ̄‥ ̄)=3 フン

特大のフンをぶちかましてしまうほど、管理人はいま忙しい。来年もまた、独り旧正月を祝う羽目になりそうだ。だが、考えてみれば、ここ3年間連続で、毎年正月にぶつぶつ言いながら仕事をしていたのだ。仕事が来ているときは、それがクリスマスだろうが正月だろうがふつうに仕事をしなければならないのが、自営業の哀しさだ。だが、逆に暇なときはとことん暇なので、ならしてみればチャラなのだろう。

それでも世間が盛り上がっているときに、独りPCの前でカタカタやっているとついつい愚痴も言いたくなる。クリスマスがなんぼのもんじゃい。

ε-( ̄ヘ ̄)ケッ

忙しい、忙しいとぶつくさ言いつつも、寝る前のひととき、好きな本を読むのは止められない。で、最近読んでおもしろかったのがこちら↓

残念ながら翻訳はされていないので、紹介しても原書で読める人はほとんどいないとは思うのだが、まっ、読んだ直後に書いておかないと、管理人が忘れるからね。単なる読書感想文ってことで(^_^;)

この本は、アメリカで災害時の動物レスキューを専門でやっている女性の自叙伝だ。10年ほどまえに書かれた本なのだが、10年前といまと、動物を取り巻く状況はあまり変わっていないのだなとつくづく思う。ちなみに、専門といっても、彼女がやっているのはあくまでもボランティア活動だ。ふだんはふつうに仕事をしているが、森林火災、ハリケーン、洪水などの災害が起こったときは、貯めていた有給などを一気に使い数週間単位で休みを取って現場に急行するのだ。

まずこの時点で、アメリカのボランティアっつうのは日本のそれとは桁が違うなと驚かされる。災害救助のボランティアに行くんで1ヶ月休みますといって、ハイハイ、行ってらっしゃいと笑って送りだしてくれる企業など、この国にはまず存在しない。

そのうえ、さすがボランティア大国アメリカでは、たかがボランティアであっても組織力がものすごい。災害現場という混乱状態のなかであっても、ボランティアどうしが連携してあっという間にきちんとした組織ができあがる。通常、アメリカでは災害時には現地の州兵(National Guard)が警備や救助活動に当たるのだが、個人単位のボランティアと、いわゆる役所側の人間が実に巧く連係プレイをとっていくのだ。アメリカはボランティアがいなければ成り立たないと言われるほど、ボランティア活動が盛んな国だ。どんな人でも、ほぼ全員が、何らかのボランティアに関わっている。そういう長い歴史ときちんとした基礎があるからなのだろうが、ボランティアが発揮する力のすごさを、まざまざと見せつけられる。

この本を読んでいて、昨年大騒ぎになった広島の騒動とのちがいをつくづく感じた。大きな町が丸ごと一つ消えてしまうような自然災害の脅威に比べたら、広島の騒動は実に小さいなものだったが、それでもあれだけの大騒動になった。あれこれ横やりが入り、妙な説を唱える自称評論家が山ほど登場し、けっきょくのところ関わった人たちにとっては嫌な思い出がたくさん残った。ちなみに、あの事件に関わった保護団体とそれに対抗する人たちと、どちらが言っていることが正しいのか、管理人はわからない。どちらの当事者も知らないし、だから判断する気もない。ただ、一つたしかに言えることは、この国にはボランティアという言葉の意味がまったく理解できていない人間がやたらと多いなということだけだ。

ボランティアというのは、究極の自己責任の世界だ。誰に強制されるでもなく、自分の意志と判断だけで自分の力が必要とされるところで労働力や物資を提供する。それに対する報酬もなければ、ほとんどの場合はその活動を人に認めてもらうことすらないのだ。助けてあげたい、少しでも力になりたいと無償で労働力を含めたさまざまなものを提供する。それに対する報酬は、できることはやったという自分の満足感だけなのだ。

広島の騒動が起こったあと、保護団体に騙された、寄付金を返せだの送った物資を返せだのと喚いている人をあちらこちらで見かけたが、正直こいつらバカじゃねえか、と管理人は鼻息が荒くなった。ついでに言えば、あなたの呼びかけでいろいろ送ってひどい目に遭った、どうしていくれるんだ!と人に文句をつけて回ってる奴らもいたが、そういう輩は全員ナイアガラの滝にでも突き落として、頭を冷やせと言ってやりたくなった。

ボランティアは『自己責任』の世界なのだ。もし騙されて労働力として提供した時間や、支援物資や寄付金を盗られたのだとしても、それは騙されたあんたが悪い。きちんとした判断力を持たなかった自分のミスなのだ。それを他人のせいにするのはお門違いだし、そんなことを喚き散らす時点で、正直みっともないと管理人は思う。

宗教というのは、まちがった方向に進んでいくと人を狂わせる悪魔にもなるが、正しい方向さえ見誤らなければ人を救うためのものだ。欧米でボランティア活動が盛んなのは、やはり根底にキリスト教の愛の精神が根づいているせいだろう。クリスマスというのはほんらいキリスト教の根本的な理念を再確認するための日であって、ピカピカ電飾を飾ったり、ものを買ったり、パーティーでバカ騒ぎするためにあるのではない。

クリスマスもボランティアも、カタカナのまま日本に入ってきた言葉は、なんだか途中で意味が変わったまま、この国にどんどん根づいていく。それで良いんだろうか? と首を傾げたくなる管理人なのである。

20071223a
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テーマ : 動物愛護
ジャンル : ペット

忘年会

犬猫を家でゴロゴロ飼っていると日々ブログネタには事欠かない。たとえば、夜中に不気味なぺこぺこという音がして、薄目を開けて見てみると、気持ちよく寝ていた管理人の横で、大きな黒い犬が猫缶を使って前衛的なパーカッションのコンサートをせっせと開催しているのが見えた。

20071221a

なぜここに猫缶がある?

それは実に素朴な疑問である。だが、起き抜けで魂が半分抜けていた時点では、そこまで深く追求するほど頭はちゃんと動かない。けがをするといけないので、ぼろぼろになった猫缶を黒犬からとりあげて、目が覚めちまったものしょうがない、トイレにでも行って寝直すか、と部屋を出ようとしたところ……

20071221b


ここは安田講堂かい?!
(安田講堂の意味がわからない平成生まれの若人は昭和の歴史を調べましょう)

夜中にトイレに行こうと部屋から出ようとしたら、入り口がバリケードで封鎖されている。これはふつうの人に日常的に起こる事件ではないだろう。部屋の中でうんPを踏むのと同じくらい、犬猫を飼っていなければまず経験できないできごとだ。

その日、管理人は疲れはてていて、いつもよりずっと早く床についた。グースカ寝ている管理人の横目に、きっとうちの連中はこんな会話を交わしていたにちがいない。

「ねえねえ、管理人さんも早く寝ちゃったことだし、きょうは忘年会しない?」
「なんで、あなたとふたりで忘年会しなきゃならないんですか? けっこうです」
「なに言ってんのよ、忘年会しなきゃ、1年が終わった気がしないじゃない。あの調子じゃ、管理人さん多少のことじゃ目を覚まさないし、きょうはキッチンまで繰りだしましょうよ!」
「でも、きょうは新しいバリケードを作ったって管理人さん豪語してましたよ」(←凝りもせずにまだバリケード合戦をつづけている模様)
「なに言ってんの? あんなバリケードなんてアタシにかかればイチコロよ。ほら、見てなさい」

管理人の発案した新たなバリケードは難なく姫に突破され、2頭のデカ犬は姐さん用の猫餌が無防備に置いてあるキッチンで、年忘れの無礼講とばかりに大盛り上がりしたのである。

翌朝妹に確認したところ、まだ起きていた妹が異変に気づいて2階から降りてきたときは宴たけなわだったらしい。慌てて犬たちを部屋に押し込んで、もう出てこれないように部屋の入り口に外からバリケードを築いたのだ。この時点で、部屋の中に犬猫と一緒に管理人も閉じこめられているなどということはまったく考慮されていない。

おもしろいことに、姫はバリケードがアップグレードされるたびに、かならずそれを突破しようと試みる。一度突破してしまえば、あとは二度とやらないのだ。おそらく、姫にしてみれば新たなバリケードを築いて自分を閉じこめようなどという管理人の魂胆が気に入らないのだ。この3年間姫が身を呈して管理人に教えようとしていることは、無理やり力ずくで閉じこめようとするよりも、姫が自ら部屋にいたいと思わせなければならないということだ。その努力を怠って、道具に走ろうとする愚かな人間を、姫は、バリケードを次々破るという行為で戒めているのである。じっさい、この事件以降、姫は一度も勝手に部屋からは出ていない。

バリケードなどつけなくても、「姫ちゃん、お部屋で待っててね」といえば、姫はちゃんと待っていられるのだ。きちんとそこで待っていれば豪華なご褒美が振る舞われる。それが、盗み食いする猫餌よりも魅力的なものであれば、姫はちゃんと言うことを聞く。犬の訓練って犬に無理やりなにかをさせるのではなく、犬がそうしたくなるように頭を使うことなんだよな、と姫と暮らしているとつくづく思う。だから犬の訓練はおもしろい。

でも、できれば新年会は他のところでやってね(T_T) そのたびに管理人まで部屋に閉じこめられるんじゃ、こっちはたまらんから……

20071221c
いつでもかかってらっしゃい!
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テーマ : わんことの生活
ジャンル : ペット

課題図書

そろそろ世間は冬休みなので、きょうはお正月休みにぜひ読んでいただきたい課題図書のご紹介。


この本、たしか1年くらい前だったかな、アメリカで発売当初からかなり話題になって、爆発的に売れたものなのだ。ハリウッドセレブ御用達のドッグトレーナーが書いた本で、有名人がご推薦となると本が売れるのはまあ日本もアメリカも一緒の話で、話題にはなってたが、どうせたいした内容じゃなかんべ、と半信半疑で管理人はこの本を手にとった。

ところが読んでみたら、これがたいした内容だった(^_^;)

作者のタマール・ゲラーはカリフォルニアでケージを使わないLoved Dogという犬の保育園を経営している。彼女の手法は暴力を一切排除した犬と遊んで楽しみながらいろいろなことを教えていく陽性強化だ。アメリカ人にありがちの「ちょっとこんなすごいことができるアタシってすごくない?」みたいな部分がちょっと鼻につくのだが、それを差し引いても、じゅうぶんあまりあるほどの濃い内容が含まれている。

ちなみに、もしあなたが本職のドッグトレーナー、もしくは真剣に犬の訓練方法を勉強しているのだとしたら、この本から新たに得るものはおそらくほとんどないだろう。作者は、自分が開発したオリジナルな訓練方法だと連呼しているが、じっさい彼女が使っている手法は、犬のトレーニング方法としてはすでに確立されているもので、とくに目新しいことではないからだ。

たとえば、日本でも数年前に話題になったこんな本↓を読んでいる人にとっては、この本は二番煎じにしか見えないだろう。

にもかかわらず、なぜ管理人がこの本をお薦めするかというと、この本は、『カルチャー・クラッシュ』などのいわゆる定番の躾本よりも、ずっとおもしろくて、わかりやすいからだ。

どうせ同じ内容なら、楽しんで読めた方が良くねえ?

管理人は天下のJKCに喧嘩を売るつもりはないんだが、かねがね、日本で考えられている犬のトレーニングって小難しすぎると思っているのだ。だいたい言葉からして難しいのだ。脚側歩行に招呼に伏臥に持来って、いまどきなんで漢字の羅列にするかなぁ? ここまで漢字を使いたがるのって暴走族ぐらいしかいないよ。脚側歩行じゃなくて「ついて」で良いじゃん。招呼なんて言わなくてって「おいで」で良いと管理人は思うのだよ。やってることは一緒なんだから、結果が同じならそれで良いじゃんよ。それをわざわざ小難しい専門用語使ってわかりにくくするせいで、犬の訓練は難しそうだし、アタシにはできないわってやらずに敬遠しちゃう飼い主さんが増えちゃうのね。これって大問題だと管理人は思うのだ。

この本を読むと、犬の訓練ってぜんぜん難しくないということがよくわかる。どんな人でも、毎日楽しみながら犬と遊んでいるだけで、いろいろなことを教えられるのがわかってくる。前半は陽性強化の理論が書いてあるのだが、具体的な事例を用いて犬という群動物がほんらいどうやって学習していくかがよく説明されている。後半にはよくある問題行動の直し方のノウハウが載っていて、なかにはかなりユニークなものもあって、それはそれで楽しめる。

ちなみに、管理人もこの中に書いてある手法をいくつか試してみたのだが、少なくともうちの連中は、このやり方がかなりお気に召したようだ。

最初に読んだ瞬間に、これはおもしろい、ぜひ日本でも出版すべきだと思ったのだが、今回ひょんなことで、自分自身が日本語版の出版にたずさわることになった。管理人の正体を知っている人は、なんだよ、自分が関わった本を宣伝してんじゃん、と思うだろうし、だから最初に念のために言っておくが、この本がいくら売れても管理人には一銭の得にもならないのね(涙) だから買ってくれなくていいのよ。図書館ででも借りて読んでくださいマシ。

なぜなら、すごく良い内容の本だから。ハリウッド・セレブが云々っていうチャラチャラした宣伝文句とは裏腹に、じっさいは、かなり内容の濃いそうとう良くできた犬の躾本だから。
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テーマ : わんことの生活
ジャンル : ペット

教育ママ飼い主の失敗

管理人の愛読書はペット用グッズのカタログである。暇さえあれば、カタログを見ながら、新しいタイプの犬猫グッズにこれ欲しいなぁ~と涎をたらしているのである。むろん、貧乏飼い主の管理人はお犬さまお猫さまのために、あれこれ買ってやる余裕などない。おもちゃや服を買ってやれるのは生活に余裕のあるブルジョア飼い主のやることで、貧乏飼い主はまず犬猫に満足に喰わせてるだけでもいっぱいいっぱいなのである。

だから、犬猫のおもちゃは手作りか、100均で買ったものばかりだし、服はもちろん子供服のバーゲンのリフォームばかりである。

とはいえ、ツチノコ兄弟がパピーだった頃には、管理人も厳しい財政状態のなかあれこれやりくりして色んなおもちゃを買ってやったのだ。とくに、知育玩具と呼ばれる「これを使えばあなたの愛犬の頭が良くなる」みたいなグッズには当然のように飛びついた。

うちのコたちはもちろんこれ以上必要ないほど天才犬に決まっているが、もっと頭が良くなるのに越したことはなかんべ。

この辺りの飼い主バカ心理は、我が子の教育費に数百万円をつぎ込み、かたや親は爪に火をともすような生活を送る親ばか心理と同じようなものだ。これを使えば、愛犬の頭が良くなると言われると買わずにはいられないのだ。むろん、飛びきり頭の良い犬とマヌケな飼い主の組み合わせは悲劇を呼ぶ可能性があることを知るのは、ずっとあとの話である。

ともかく、ツチノコ兄弟がパピーだった頃は、管理人も希望に燃え、明るい未来が目の前でキラキラしていた思いきり脳天気な新米飼い主だったのだ。管理人の予定では、我が家の愛犬たちはみんなが羨むスーパードッグに成長する予定だったし、スーパードッグ道を極めるためには、やはり幼児期から教育費に金をけちっちゃなんねぇ、とこう思っていたわけだ。

ちなみに、どれほどすばらしいスーパードッグ予備軍であっても、飼い主がマヌケな場合にはただの犬にしかならないということに気づくのも、ずっとあとの話である。

で、我が家ではこんなグッズを買ってみた↓

これはね、なかにおやつやフードを入れてやると、なかの螺旋状の通路を通って、そのおやつがコロコロ出てくる仕組みなのだ。ボールを転がす角度や方向によって、たくさん出てきたり、少ししか出てこなかったり、どうやったらたくさん出るかを考えることで、犬の頭が良くなるという話だったのだ。

で、我が家のお坊っちゃまたちは、新しいおもちゃに夢中になり、しばらくは一日中このボールを追っかけてゴロゴロ、ゴロゴロやっていた。ゴロゴロバタバタという音が聞こえるたびに、我が愛犬の脳細胞が10万個ずつ増えるような気がして、教育ママの飼い主としては、いや、けっこう高かったが良い買い物をしたもんだ。これで我が子たちもスーパードッグ道まっしぐらだと満足感に浸っていた。

ところが、このおもちゃには大きな欠点があった。というよりも我が家の世界一賢い愛犬たちの高すぎるIQは、このおもちゃの発案者の予想を遙かに超えていたのである。

ある時、いつもゴロゴロ、ガタガタバタバタという音ではなく、ガキ、ゴリ、ピシっという不安な音が聞こえてきて、なにをしくさっているかとようすを見に行ったところ、DJがおやつが出てくるのとはちがう方の、人間がおやつを詰めるための口をみごとに破壊していた。

いくら転がしても数粒ずつしかフードの出てこないおもちゃに苛立ったディーは、管理人がもう一つの口を開けて、そこから一気におやつを詰めるようすをしっかり観察していたのである。あっちの口はいくらやっても少しずつしかおやつが出てこないが、もう一つの口を開ければいっぺんにぜんぶが食べられるということを、彼は管理人の行動をじっくり観察することでしっかり学習したのである。

まー、どーしましょっ! やっぱりうちのコたちは天才かもしれないわ!?

ちなみに、おそらく世界一頭の良い我が家の天才犬たちは、その後、その有り余る才能を飼い主の意図とはまったくちがう方向に開化させ、けっきょくどこに出しても恥ずかしい犬にみごとに成長したのである。

頭が良くなる知育玩具が必要なのは、犬じゃなくて飼い主のほうだ。それを身をもって学習するのが、じつは犬を飼うということなのかもしれない。

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えっ? おもちゃ壊しちゃダメだって?
そんなの関係ねぇ~!!
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テーマ : わんことの生活
ジャンル : ペット

犬的猫生活

いやはや、屋敷を更新せねば、更新せねばと思っているうちに、あっという間に1週間が経ってしまった。おかげさまで、我が家の面々は元気です。風邪が大流行だっちゅうのに、くしゃみ一つ出ないバカ元気な飼い主と共に、あいかわらずのたりのたりとフツーの生活を送っている。

ただ、管理人が異常に忙しくてさ。またいつものように納期に追われて、ヒーヒー言っているのである。まっ、この不景気な時代にお仕事があるだけめっけもん♪ そう思わないとやってらんない(^_^;)

で、嫌になるほど毎日があっという間に過ぎていくきょうこの頃、老犬老猫老人にはあまり変化がないのだけれど、現在成長期真っ只中の天ちゃんに関しては、毎日変化があってじつに興味深い。なんだか、毎日見るたびにデカくなってる気がするし。よく食べ、よく眠り、よく遊び、寒くなってもあいかわらず「天ちゃん、ゼッコーチョー」な日々なのである。

天はあいかわらず日中だけ妹の猫部屋で過ごし、夜は犬たちと一緒に眠る二重生活を送っている。犬たちはすっかり天の存在に慣れたし、犬に邪魔されずに暮らせる高いスペースを用意してやったので、管理人が家にいるときはそのまま犬部屋に置いておいても良いのだが、なにしろ管理人の仕事中もデスクの上であれこれやらかすので、昼間は邪魔なので猫部屋に預かってもらっているのだ。

猫なんだから、猫部屋で暮らすのが当たり前なのだが、やっぱり天は先住猫たちに受けいれてもらえない。そばに寄ればとたんにシャーシャー言われるので、天のほうが怖がって他の猫たちに近づけないのだ。最初は吠えて天を追っかけ回していたデカ犬たちのほうが、いまはずっと天と仲良しだ。夜は、管理人とカイと天と3匹で川の字になって寝ているし、いまだに天にしてみればちょっと怖いオバサンのほうも、「チビスケがいるわ。だからなに?」って感じで、基本的に天の存在は家具の一部になっている。

だが、最近ふと気づいたのは、猫も犬と一緒に育てると、しだいに犬化していくという事実だ。いちおうトイレだけは、猫用おまるを犬たちが届かない台の上に設置しているのだが、水飲みはデカ犬たちと共有なので、天にしてみれば風呂桶のような巨大な入れ物の縁に手をかけて、ぴちゃぴちゃと飲んでいる。

餌とミルクは、これまた犬たちに邪魔されないよう妹の部屋で摂るのだが、なぜか天ちゃん犬たちのおやつがお気に入りで、毎日夜部屋に帰ってくると、先日ハナサクラ母がおみやげにとくれた犬用ビスケットを勝手に袋から出して食べている。
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美味しいのかな、それ?

こう言っちゃなんだが、一般的に犬の餌は猫の餌より美味しくないと言われている。犬用の餌には味をつけないのがふつうだし、犬は必死で猫の餌のおこぼれに預かろうとするが、猫は犬の餌には見向きもしない。だが、なぜか天はこのビスケットが大のお気に入りなのだ。毎日、かならずこれを1個食べないことには気が済まない。

「アンタ、天にちゃんと餌やってんの? 飢えてんじゃないの、こいつ」

妹に言わせると、毎日部屋でたんと餌は食べているらしい。だが、ビスケットはどうやら別腹らしいのだ。

他にも、犬用に買った魚の加工品のおやつに天は目がない。デカ犬たちには一口サイズの棒ダラやマスジャーキーなどを、どこに隠しても探しあててしまう。他のおやつ類もいちおう試食はしてみるのだが(奴はことごとく袋を破って中身を味見するのである)いまひとつ天的には美味しくないローハイドガムや馬アキレスなどは、これいらない、とばかりに棚の上から放り投げるので、犬たちにとってはパラダイスなのだ。

まっ、犬用のおやつを多少猫にやったとて、たぶん害はないだろうしね。天が帰ってきたら、慌てておやつを押し入れにしまえば、それで良いわけだし。

なんとなく猫とは巧くやっていけない。でも犬とは仲良く暮らしていける。ドッグビスケットは自分のおやつだと思っている。考えてみれば天って猫的にはすごく妙なコに育っているのかもしれないが、考えてみれば、他の猫とは折り合いが悪いが、犬ならどんなコでも大丈夫という点ではチビ姐さんと一緒だし、まっ、そういうのもありかなと考えているお気楽飼い主なのである。
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動きだけは、いちおう猫らしく3D
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テーマ : ☆多頭飼い☆
ジャンル : ペット

同窓会という名の犬まみれ

いま12月……ですよね? と訊きたくなるような晴天のなか、きょうは我が家の元居候、あいつに会いに行ってきた。
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すみれでございまするm(_ _)m
お久しぶりっこ♪

当初は、この前の競技会で会おうと言っていたのだが、どうにも都合がつかなくて、けっきょくきょう仕切り直しとなったのだ。

この日の約束をしてからほぼ1ヶ月、管理人の頭のなかではすみれとの涙の再会劇の臭すぎるシナリオができていた。管理人の姿を一目見ただけで、目をウルウルさせて一心不乱に管理人に駆けよるすみれ。一人と一匹は必至と抱き合い久しぶりの再会に言葉を詰まらせ……

ところが、現実なんてそう甘いもんじゃない。

デカ犬たちを引き連れた管理人と妹の姿を見たとたん、後ずさりして仲間の犬と飼い主さんのうしろに隠れるすみれ(^_^;)

おめえ~犬猫屋敷のこと、きれいさっぱり忘れてたな!

まっ、現実なんてそんなもんだ。じっさい、K家にもらわれていって、すでに半年が経っているのだ。うちにいたのはほんの1ヶ月ちょっとで、それを考えると我が家の記憶などすみれにとっては遠い過去のできごとなのだ。よく、預かりボラを長年やっている人が、再会した預かり犬にすっかり忘れられていて、それでも良いのなんてことを言っているのを見て、管理人はかねがね、徳のある人はやっぱりちがうな。管理人みたいな凡人だと、ついつい「てめえ、恩知らずめ!」とか言っちゃいたくなるんだろうなと思っていたのだが、不思議とそうは思わなかった。却って、あそこで「迎えに来てくれたの! 待ってたから!」みたいな顔をされたら、その方がよっぽど辛かっただろう。

良いんだよ、すみれ。犬猫屋敷にいた時代のことは、きれいさっぱり忘れていてくれたほうが、元飼い主(仮)としては嬉しいのだよ。いまはほんとうに心の底からそう思える。

むろん、賢いすみれさんのことだ、再会して数分経ったら、すぐに管理人のことも、妹のことも、短い間だったが一緒に暮らしたデカ犬たちのこともちゃんと思いだして、以前にように満面のすみれスマイルで甘えてくれた。むろん、記憶を呼び覚ますのに、この日のために忙しい中わざわざ買い出しに行って精魂込めて調理した牛レバーが役立ったのは言うまでもないだろう。

犬と男は餌で釣るに限る。

これは管理人の人生哲学である。

きょうは、もちろんすみれと再会し、またすみれを家族として迎えてくださったKさんとお目にかかるのが目的だったのだが、せっかく重い腰を上げて犬連れででかけるのに、近所に住む犬友を呼び集めないほうはない。というわけで、今回もまた、管理人の大好きな犬まみれな状態になったのだ。

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まずは毎度おなじみの管理人の隠し子、ハナとサクラでしょ、すみれの飼い主探しでいろいろ御協力いただいたごっつぁんさんとこのレオくんでしょ、それに管理人の一番ヤングな犬友のNANAMIちゃんとムジカ嬢でしょ、それに忘れちゃいけない、K家の先住犬のハンサムあるくんと、眉間の皺がキュートな純太くん♪

あぁ~なんて幸せなんだろう。そんじょそこらに犬がわんさかいて、あっちこっちでリードが絡まりまくって、犬好きにとってはたまんな状況だね(涎デロデロ)。

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毎度のことだが、とくになんの予定も立てず、式次第もなく、ただ単に犬連れが集まって、お互いの犬をグリグリしあっているだけなのに、なぜこんなに楽しいのか? この感覚は、おそらく犬飼いにしかわからないものだろう。でもね、楽しいのよ。何をしたってわけじゃないんだけどね。ただたくさんの犬にまみれているだけで、とにかく管理人は、し・あ・わ・せ♪

ちなみに、今回も管理人は集まった犬たちに大人気だった。腰に下げた袋から繰りだされるレバーの魅力だと妹は冷静に分析していたが、犬が集まる場所に、とびきりのおやつを持参した管理人の作戦勝ちである。

しつこいようだが、犬と男は餌で釣るに限る。人間、長く生きていると自然と狡猾さに磨きがかかるものだ。

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最後に、元同居犬たちの記念写真を撮って、首都高が混む前に解散と相成った。

Kさま、ほんとうに、今後ともすみれのこと、どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m 次は、少し暖かくなった頃に、BBQでもしましょうね。

また次回、犬たちのアイドルとなるべく、いまから究極のおやつのレシピ作りに余念のない管理人である。
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テーマ : わんことの生活
ジャンル : ペット

歪んだペットブーム

あいかわらず怒りがおさまらないので、きょうもぶつくさ言うことにする。

だってやっぱり腹が立つのだ。どうしようもない飼い主のせいで、人を咬むことを教えられ、そのせいで人殺しになってしまった哀れな子犬(加害者の犬はまだ1歳4ヶ月の子犬なのだ)と、犬に襲われて恐怖のなかで亡くなったおばあさんと、どちらにとってもこんな不条理な話はないと思う。一番の加害者であるはずの飼い主は、せいぜい、罪に問われたとしても業務上過失致死だ。おそらく実刑にもならないで、執行猶予がついて終わりだろう。

じつにまったく理不尽な話だと思う。とは言っても、管理人にはどうすることもできないので、こうしてブログで毒を吐いて怒りを収めるしかないのだ。

で、きのうの話のつづきだが、管理人は、ほんとうに日本の犬飼いは犬が人を咬むということについて考えが甘いと思うのだ。というより、管理人のような古いタイプのハードな犬飼いにいわせると、最近のペットブームに乗った「ワンコちゃん大好きぃ~癒されるわぁ~」系の飼い主というのは、犬を飼うということがどういうことか、本質を勘違いしていると管理人は思う。

犬を飼うということは、鋭い牙を持った動物を、きちんと管理して人を傷つけたりしないよう、世間にご迷惑をかけぬよう、社会の一員として育てていくことなのだ。それができないとしたら、それは犬を飼っていることにはならない。たしかに、アクセサリーや家具のように犬を持っているかもしれないが、持っていると飼っているは意味がちがう。

たとえば、ペットブームのおかげで、いまや犬グッズのマーケットは花盛りだ。人間顔負けのサプリメントや犬用ケーキや、人間用より高価な犬用の家具やベッド、お犬さまの仏壇から墓地まで用意されている。初心者犬飼いの多くは、みんながやっているから、うちもうちもとこういうグッズに群がっていく。だが、ちょっと待て、と管理人としては言いたいのだ。そんなものに金を使うより先に、まずは腕のいいドッグトレーナーを雇いなさいよ。トレーニングスクールに行きなさいよ。どうやったら犬と仲良く暮らせるか、そのノウハウを書いた本を読みあさりなさいよ。まずやるべきことは、そっちなのだ。犬をきちんと育て、立派な社会の一員に育てあげたあと、余裕があるなら服を着せるなりマニキュアをさせるなり好きなことをすればいい。

犬を飼うために最低限必要なものと、そうでないもの、その区分けがわかっていない飼い主がいまは多すぎる。

ほんとうに極端な話をすると、犬の餌なんて残飯だってじつは別にかまわない。たしかに、塩分の高い人間の食べ物を食べさせると、ある年齢で腎臓やら肝臓に障害が出るし、その分寿命は短くなるが、それでもふつうの中型犬ならば、5~7年は生きるだろう。トリミングなんかしなくても、ふつうの犬は、汚れたら天気のいい日に水をぶっかけてそのあとタオルで拭いてやれば最低限の汚れは落ちる。爪切りなんてしなくても、毎日一定時間散歩をしていれば、爪は自然と削れていく。腹をこわしたら、ビオフェルミンを飲ませて、1日食餌を抜けば健康なふつうの犬ならすぐ直る。

なんて恐ろしい話をするんだ、このオバサンは、といまどきの飼い主さんなら眉をひそめるだろうが、じっさいこれが一昔前の犬の飼い方だったのだ。それでも犬は立派に生きていた。いまほど寿命は長くないにしろ、それでも5~7年、運が良ければ10年ぐらいは生きられたのだ。

オルガニックフードやら高度医療、そんなことより、犬を飼うのに一番大切なのは、犬に飼われるのではなく、犬を飼ってやることなのだ。何があっても人は咬まない。呼んだらすぐに戻ってくる。飼い主がダメと言ったことはぜったいにやらない。この三つがちゃんとできるような犬に育てるのが、なにより大事なことなのだ。なぜなら、人を咬まない、呼び戻しが効く、飼い主の言いつけを聞くということは、結果的に犬の命を守ることにつながるからだ。

たとえば、薄汚れて犬臭い、ばっちり飼い主の言うことを聞く犬と、トリミングに毎月行っている傍若無人な野獣と、ほんとうに良い犬飼いは果たしてどちらの飼い主だろうか? きれいなおべべを着ておリボンをつけて、すれちがう人や犬ぜんぶに吠えかかる犬と、脚に泥がついたままでも、誰に対しても尻尾を振る笑顔の犬と、果たしてどちらを連れている人が良い犬飼いですか?

ご大層なベッドに寝かせて、コシヒカリより高い餌を食べさせていても、愛犬が平気で人の手に牙を立てるような犬の飼い主は、決してちゃんとした犬飼いではないと管理人は思う。犬にやって良いことと悪いことの区別を教えられないということは、その時点で犬を飼えてはいないのだ。どんなに犬に金をかけようが、可愛がっていると言い張ろうが、それは正しい犬の飼い方ではない。少なくとも管理人はそう思う。

たとえば最近流行の小型犬の飼い主さんのなかには、うちのコは小さいから人を咬んでもたいしたことはないと思っている人もいるかもしれない。たしかに、小型犬と大型犬では咬んだときの被害の度合いがかなりちがう。大型犬だと今回のように最悪の事態も起こりえるし、まあチワワに咬まれても人が死ぬことはまずないだろう。だが、被害が少ないから咬んでもいいのかというとそうではない。じっさい小型犬であっても相手が小さな子どもなら、そうとう酷いことになるし、犬に咬まれる被害者の多くは、小さな子どもであることが多い。被害がどうのではなく、犬が人を咬むということが問題なのだ。そして、犬を飼ったことがない人は知らないだろうが、一般的に大型犬より小型犬のほうが人を咬む確率は高い。

大型犬とちがって身体の小さな小型犬にとって、人間というのはとても大きくて恐ろしいものに見える。だから、人に対する恐怖心も大きくなってしまうのだ。かたや、人間のほうも小型犬に対しては小さくて可愛いから大丈夫だろうとわりと平気で手を出す。結果、よっぽど飼い主が注意していないと、犬が人を咬んだという事件が起こりえるのだ。

犬が見知らぬ他人を咬むのは、恐怖心が耐えられる限界を超えたときだ。つまり限界値が低い小さな犬のほうが、人を咬む確率は絶対的に高くなる。だから小型犬の飼い主は、より一層注意して犬が人を咬まないように小さな頃から教えなければいけないのだ。

咬み癖が出やすい犬種というのもある。たとえば、ヨーキーやジャックなどのテリア系の犬は、やはりかなり注意をしない限り、咬み癖がつく確率が高い。その犬種の特性を知った上で買うのならいいが、ただ小さいから楽に飼えるだろうと手を出すと、あとで泣きをみることになる。

以前、友人の息子が、友だちの家で犬に咬まれたという話があった。相手は大型犬のゴールデンだかラブだかで、遊んでいるときに臑に歯があたって、小さな傷がついたのだ。犬飼いの感覚で言えば、咬んだとは言わないような小さな傷だった。じっさい大型犬が咬んだとしたら、何針も縫う傷になるし、飼い主にしてみれば、牙があたった単なる事故で片づける気だったのだろう。だが、謝罪の電話一本もよこさない、その飼い主は非常識だと管理人は思う。犬飼いの感覚では咬んだとは言えない小さな傷であっても、やられた方にしてみれば、やっぱりそれは咬み傷なのだ。相手が同じ犬飼いならば別だが、犬を飼っていない人にとって、どんな場合でも牙が当たって人の身体に傷がついたら、それはぜんぶ咬み傷なのだ。

パピーで家にやってきたとき、どんな犬でも最初はやたらめったら人を咬む。赤ん坊が見るもの聞くもの珍しくて手を出して触ってみるのと同じ感覚で、子犬は何でも口に入れて、噛み心地を試してみるのだ。飼い主が最初にやるべきなのは、咬むという行為が人間に与える影響を教えてやることだ。厚いコートに守られた犬どうしでやるぶんには、傷もつかない咬むという行為が、人間の柔らかい肌に対しては大きな被害を及ぼすということを犬によく教えてやらなければならない。人の手が口に入ったときは、口をぜったいに閉じないと教えることもできるし、逆に人の手が近づいてきたら口を閉じたまま開けてはいけないと教えることもできる。どちらも人を咬まない犬にするには有効な手段だが、ともかくパピーが家に来たその日から、人を咬んではいけないということは、徹底的に教えるべきだ。同時に、子犬ほんらいが持つ、咬みたいという欲求を満たしてやるために、コングのような咬んでもいいおもちゃを与えてやるのも忘れてはいけない。要は犬に咬んでいいものといけないものの区別をちゃんと教えることなのだ。きちんと教えれば犬はちゃんとそれを覚える。やって良いことと悪いことのちがいをちゃんと理解できる動物だからだ。

うちの犬たちはどんなことがあっても人を咬まない、と管理人は自信を持って言えるのだが、「大丈夫、うちの犬は咬みません」といくら言っても、信じてもらえないことがとても多い。それが哀しいなと管理人は思うのだ。いまだ、多くの人が犬はもともと咬むものだからと本気で信じこんでいる。そうじゃないのに。きちんと育てれば、ぜったい人を咬まない犬にすることができるのに。そうじゃない犬が多いのは、きちんとそれを教えない怠慢な飼い主が多いからなのに。

理由は何であれ、犬は決して人に牙を立ててはいけないのだ。ペットとして飼っていく以上、すべての飼い主が、人を咬んではいけないということを、犬に教えなければいけないのだ。人を咬んだら犬はお終いだ。どんな場合でも、犬は人を咬んではならない。犬が人を咬むような状況を、飼い主としては作ってはならない。フィラリアの予防薬より、プレミアフードより、トリミングやきれいなお洋服より、大切なのはそのことだ。

妙なペットブーム花盛りのこの国で、それが一日も早く常識になってくれることを、管理人は願って止まない。
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日本人の大勘違い

姫さんも、自分のブログで力説していたが、最近福岡で起こった犬による殺傷事件。管理人も心の底から残念に思っている。このニュースを見て、多くの日本人は「犬は咬むものだから」ときっと思っているのだろう。だがそれがまちがいなのだ。日本人の多くは、本気で犬は元来人を咬むものだと思いこんでいる。だが、どんな犬種であっても、咬まない犬にすることはできるのだし、人を咬んでしまったら、犬はお終いなのだ。犬を飼う以上、ぜったいに人を咬むような犬にしてはいけないということを、すべての犬飼いが肝に銘じるべきだと管理人は思う。

非常に厳しい言い方をするが、たとえどんな状況であっても、犬が人を咬んでしまった場合、やっぱり非は全面的に咬んだ犬の飼い主にある。

日本人の多くは、いまだに犬の頭を上から撫でようとするし、犬が嫌がっているのにもかかわらず、しつこくする自称犬好きも多い。咬んでもとうぜんの状況はたしかに山ほど存在する。だが、それでもやっぱり犬に決して人を咬ませてはいけないのだ。

日本の現状に比べたら、パラダイスのような欧米でも、シェルターに保護された犬に咬み癖があった場合、まず100%その犬は処分される。一度でも人を咬んだと言ったら問答無用で処分なのだ。それを可哀想だと思う人も多いだろう。だが、犬が人を咬むということはそれくらいたいへんなことなのだというのは、忘れてはいけないと思うのだ。

それに比べると、日本の飼い主は犬が人を咬むということについて、甘すぎると管理人は思う。犬を飼う以上、ぜったいに人を咬まないようあらゆる努力をしなくてはならないという認識がなさすぎる。それは、心の奥底で、犬なんだから咬むのは当たり前という思いがあるからではないだろうか? だが、それはぜったいにまちがいだと管理人は思う。犬は、ほんらい人を咬むことは知らない。子犬の頃から飼うのならとくに、ぜったいに咬まない犬にすることはできる。

統計的な数字は知らないが、おそらく日本で飼われている犬の多くは、みな6ヶ月以下のパピーから飼っているコだと思う。そのわりには、犬は咬むものという常識がまかり通るということは、非常に恥ずかしいことなのだ。犬はきちんと育てれば、ぜったいに人を咬まない。しつこいようだが、これを管理人は声を大にして言いたいのだ。

なぜなら、先日も書いたように、我が家では飼い犬を咬み犬にした経験があるからだ。非常に恥ずかしい話だが、管理人は実体験として、犬が人を咬むようなるにはどうすればいいか、その方法を知っている。その後、ツチノコ兄弟に対しては、本気で咬まない犬にする訓練をした。ちょっとでも人に対して牙をむくようなことはぜったいにやらせないよう、徹底的にやったのだ。その結果、いまいるコたちに関しては、どんなことがあっても、うちの犬は決して人を咬みませんと命をかけて言えるのだ。

うちのデュークはそうだったのだが、犬を育てるときに、しつけという名の暴力を使ってはいけない。それをやると、犬は自分の身を守るために人を咬むという行動を覚えてしまう。犬と人間の関係が曖昧だと、飼い主を咬むことで、自分の主張を通すことを教えてしまう場合もある。犬が咬むことを覚える理由はたくさんある。だが、一つだけ自信を持って言えるのは、飼い主がきちんとやれば、犬に咬むことではなく咬まないことを教えることができるということだ。

そして万が一犬が人を咬むことを覚えてしまったときには、ぜったいにそういう事故が起こらないよう飼い主が徹底的に犬を管理しなければならない。しつこいようだが、犬にとって、人を咬むということは死刑宣告とおなじなのだ。それくらい厳しいものだということを、決して忘れてはいけないと思う。

犬が人間を咬んだという話を聞くたびに、管理人は本気で泣きたくなるのだ。被害を受けた人間に対しても、加害者となった犬に対しても、本気でたまらない気分になる。日本には、人を咬む犬が多すぎる。犬が人を咬むということに関して甘く考えている飼い主が多すぎる。こんな非常識がまかり通るこの国が、ペット大国だなんてお笑いぐさだ。
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いいことばかりなのか、先進国?

朝の散歩でムカツクことがあった。

朝と言っても、世間では昼と呼ばれる時間である。いつものように、管理人はデカ犬2頭を引き連れて、近所の公園をトテトテ機嫌良く歩いていた。すると、前方にピクニックを楽しむ親子連れを発見。ママたちは地面に敷いたビニールシートの上でおしゃべりに熱中。そのそばには、ノーリードのガキお子さまがプラスチック製の野球のバットを振り回して遊んでいた。

姫的には、非常に嫌な状況なので、管理人はすかさず2頭を横につかせて、その場をやりすごそうとした。近づいてくる大きくて世界一可愛い(←あいかわらず飼い主バカ爆走中)犬たちにとうぜん子どもは興味を示して近づいてこようとした。すると、おしゃべり夢中になっていた母親が言ったのだ。

「ばい菌だらけなんだから、犬にはぜったい触っちゃダメ!」

あにぃぃぃぃ!?(激怒)
鼻水たらしてるお前んちの悪ガキのほうが、よっぽどばい菌だらけじゃい!


ったく、失礼にもほどがあるε-( ̄ヘ ̄) もちろん、うちのコたちはごくふつうに菌の保有者ではあるが、それは人間も含む動物がふつうに生きている状態と同じだ。動物である以上、無菌状態ではいられない。たしかにペットから人間に感染する病気というのもあるが、その数は人間どうしで遷る病気に比べたら微々たるもので、よっぽど抵抗力が落ちた無防備な状態でない限り発病するようなことはまずない。

じっさい、犬が100頭いるなかで食事をするほうが、インフルエンザが大流行の学校の教室で給食を食べるよりずっと発病の危険性は少ないと管理人は思っている。

ったく、無知な奴というのは困ったものだ。人間にとって、一番の脅威は同じ人間だというのに、人は清潔で動物は汚いという誤解を元に、将来ある子どもにまちがったことを吹き込む親が多いのはじつに残念なことである。

だいたいね、土とか埃とかそいうものを、汚い、ばい菌とやたらめったら忌み嫌う最近の風潮って、ちょっとおかしいんじゃないの? 子どもなんて、泥まみれになって遊ぶのが当たり前。爪のなかが真っ黒で、ぞうきんのようになって夕方家に帰ってくるなんていうのは、昔の子どもにとっては当たり前のことだった。そうやって色んな菌に耐性をつけていくことで、強い身体を作ってくもんでしょうが。それを小さなころから無菌状態に置いておくから、ひ弱なもやしっ子が増えるんだ、まったく!

犬猫に触ったぐらいで菌にやられるようなひ弱な人間は、どうせまともに長生きなどできやしない。そんなこともわからないお馬鹿さんが、子どもを産んで育ててる時代というのもまったく困ったものである。

最近はアレルギーをもっている子どもがやたらと多い。アレルギーがない子のほうが少ないくらいだ。同じように、近ごろ飼っているペットがアレルギー持ちという話をよく聞くようになったのが、おもしろい社会現象だなと管理人は思うのだ。

以前、知りあいから、飼っている犬が皮膚病で困っているという相談を受けたことがある。よくよく聞いたら、毎日散歩から帰ってくると薬用石けんで身体をきれいに洗っていたのだ。室内飼いだから汚いのは嫌だと汚れをすべて落としていたつもりが、じっさいは犬の皮膚を守るためのコートの油までぜんぶ落としてしまっていたせいで、犬はけっきょく皮膚病になってしまっていた。

土埃が多少家のなかに入ったところで、人は簡単に死にやしない。その程度で死ぬくらいなら、日本以外の土足文化の国は、いまごろ人口が激減してる。ペットを室内で飼うのなら、犬や猫が外から持ち帰ってくる土や埃などはもれなくついてくるグリコのおまけみたいなもんで、それが嫌なら最初からワンコちゃんニャンコちゃんとの楽しい生活なんて望まなければいいのだ。

どこで読んだか忘れたし、たしかな話ではないのだが、小さな頃からペットを飼っている家の子どもはアレルギーが出る確率が低いという統計を見たことがある。犬猫に常に触れている状態だと、子どもには自然界のあらゆる菌に対する耐性が徐々についていく。だから、強い身体が作られるという理論だが、これは一理あるなと管理人としては思うのだ。

たとえばアフリカやアジアの発展途上国に行ったとき、日本のような先進国の人間は水を飲んだだけで腹をこわして七転八倒することになる。現地の人はふつうに飲んでいる水なのに、ボトル入りの水に慣れた柔な人間には、それが汚染されたものになるからだ。多くの人は、そんな発展途上国の姿を見て、不潔だ、可哀想だ、ひどい状態だと言うだろう。だが、ちょっとしたことで病気に感染する免疫力がまったくなくなった文明国の人間のほうが、じつは可哀想な人たちなのかもしれない。ふだんから生水を飲んでいきられる人間は、どんな場所でも生き抜いていける。だが、ミネラルウォーターに慣れた身体は、水を消毒してボトルに詰めてくれる人がいなければ、生きていくことができない。

管理人が子どもだったころに比べたら、日本はとても清潔な先進国になった。だが、動物とふつうにふれあうことができないような暮らしが果たして幸せなのか、犬は汚いと言い切る小ぎれいな親子連れを見ていて、管理人は首を傾げたくなってしまうのだ。

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布団の上に靴が落ちているのも、
犬猫屋敷的にはごくごくあたりまえの日常風景
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究極のドッグトレーナー

きょうはきのうの記事の補足説明。

世間の犬のプロもぶっ飛ぶような妙な説を唱える管理人だが、こういうことを思いはじめたのは、じつはここ数年の話なのだ。具体的に言えば、姫が我が家にやってきたのを境に、管理人の犬飼い理論がドラマティックに変わった。なぜなら、それまで正しいと信じていたことや、こうすればいいと思いこんできたノウハウが、姫にはまったく役に立たなかったからだ。

我が家の歴代の犬たちは、飼い主の成長に合わせて、いろいろなステージのワンコがいた。一代目のデュークのときは、犬をしつけて飼わねばならぬなどということすら知らない超だめ飼い主だったために、内弁慶の超ビビリ、人も犬もまったく受けつけず、散歩はいつも犬に人間が引きずられ、挙げ句の果てにうちに来た人に咬みつくという事件を何度も起こすという目も当てられない状態だった。ちなみに、この時点では、管理人を含め我が家の人間は、犬のトレーニングなんてものは、警察犬とか盲導犬だけがやるもの、と信じて疑わなかったのだ。それでも、どんなダメ犬でも(じっさいは犬じゃなくて飼い主がダメだったのだが)やっぱりデュークは可愛かったし、大切な我が家の愛犬だった。捨てようなどとは思わなかったし、もちろん最後までちゃんとうちで看取ったが、いま考えるとデュークとの生活は正直かなりたいへんだった。

そこで、ツチノコ兄弟を迎え入れる前に、管理人はお勉強をしてみたのだ。そしたら、驚愕の事実が判明した。

アタシたちがデュークに対してやったことって、まちがいだらけじゃんか!?

世の躾本に書いてある「これだけはやってはいけません」ということを、ほぼすべて管理人はデュークに対してやっていた。そりゃ問題犬にもなるわな。だって、飼い主が折り紙付きの問題飼い主だったんだから(^_^;)

というわけで、ツチノコ兄弟に対しては、管理人ははっきり言ってそうとうの教育ママになっていた。躾本に忠実に従い、やってはいけないと言われることはぜったいにやらず、我が子が世界一の名犬に育つと信じて日々精進を重ねたのだ。

で、結果、ツチノコ兄弟はたしかに犬にも人間にもフレンドリーだし、人を咬むことはぜったいにしないし(←デュークで苦労したために、この点は異常に気をつけてしつけをした)まあそこそこよいコには育ったが、かといってけっきょく名犬にはならなかった。

おかしい……躾本の通りにやれば、かならずラッシーになるはずだったのに!?

とはいえ、以前の状態に比べれば、目を見張るほど成長した元超ダメ飼い主としてはここで思いきり有頂天になったのだ。どんな犬でもドンと来い。この蓄積されたノウハウを使えば、どんな犬だって名犬に育てられるわ!(←だから、名犬にはならなかったんだってばぁ~)

そんな、根拠のない管理人の天狗の鼻を思いきりへし折ってくれたのが、3年前に我が家にやってきた姫さまだったのだ。

ダメだ……なにをやっても姫には効かない(T_T)

いまだから言えるが、管理人は本気で頭を抱えた。なぜなら、こうすべきと躾本やしつけサイトに書いてあるあれこれをすべて試してみたものの、けっきょく納得できるような成果はなにも得られなかったからだ。そこで、根本に立ち返って考え直してみたのだ。なぜ、姫は管理人の言うことを素直に聞こうとしないのか?

そこであることに気づいたのだ。パピーから飼っていたデュークやツチノコ兄弟とちがって、成犬になって我が家にやってきた姫には、彼女なりの「人との関係はこうあるべき」という意見がある。なにかをやれと言ってもやらないときには、彼女なりにやりたくない理由がちゃんとある。その理由を取りのぞいてやれば、じっさい彼女は名犬になるのだ。ただ、やりたくない理由をそのままにして、無理やりなにかをやらせようとすると、姫はへそを曲げて梃子でも動かなくなってしまう。

我が家のルールを決める際に、犬の意見を聞くなんてことは、それまで信じていた犬と人間の関係からすると、ぜったいにやってはいけないことだった。なにしろ、それまでは管理人自身もアルファになるために犬と戦っていたのだから。

ツチノコ兄弟と管理人の関係は、親子関係に近いものだった。パピーの頃から飼っていて、それこそ赤ちゃんのときから手塩にかけて育てたコたちだ。だから、逆に言えば、ツチノコ兄弟は管理人のやることになにも疑問は持たない。管理人がそう言うのだからそう言うもんだ、と自然にそれを受けいれる。だが姫の場合は、「それはちがうんじゃないかしら?」と真っ向から疑問を呈するのだ。それは、天狗になっていた管理人にとっては、非常に新鮮な驚きだった。

たとえば、姫は雨の日にはオスワリをしたがらない。単に、濡れた地面に座ることでお尻が濡れるのが嫌なのだ。それをどう見るかは飼い主の考え方しだいだ。無理やり何が何でも座らせることもできるのかもしれないが、管理人はそんな無駄なことに時間を使うつもりはなかった。なぜなら、座ることが重要なのではなくて、管理人がそこで姫にやって欲しかったのは、その場から動かないということだったからだ。だから、雨の中で座ることを強要する代わりに、姫には立ったまま待つ「ストップ」を教えた。これは管理人のほうが譲歩した例だ。

姫はシャンプーと耳掃除が大嫌いだ。だが、これはいくら犬が嫌がってもやらないわけにはいかない。だから、この場合は管理人はぜったいに引かない。毎回嫌がって暴れて泣きわめくのだが、それでも姫は押さえつけられてシャンプーをされ、耳掃除をされる。ただ、終わったあとに大好きなご褒美をやることは忘れない。大嫌いなシャンプーや耳掃除のあとには、かならずめったにいただけないようなご馳走が出るのだ。あいかわらずいまでも姫は、シャンプーや耳掃除が大嫌いだが、それでも、最初のころに比べれば、ずいぶんおとなしくやらせるようになった。これを我慢すれば、あとに美味しいおやつがもらえるとちゃんと理解してくれたからだ。

で、要は何が言いたいかと言うと、究極のドッグトレーナー、自分にとっての最高の飼い主訓練士というのは、じつは目の前にいる毛むくじゃらの相棒なんじゃないかなと管理人は思うのだ。姫はその点、経験豊富な、そうとう腕の良いトレーナーだったので、おかげで管理人は犬飼いとして成長することができた。姫が腕の良いトレーナーである証拠は、管理人が巧くやったときにじつによいタイミングで、ご褒美の笑顔を見せてくれるからだ。

「スワレェェェ!!」

なに、その態度? 座って欲しいならちゃんとお願いしなきゃだめでしょう?

「姫ちゃん、オスワリ(^o^)」

そうそう、その調子。はい、ちゃんとお礼のレバーを出すのも忘れないでね。

果たしてどっちが飼われているのか、疑問に思う瞬間だが、そうやって姫は管理人に、どうやったら犬が喜ぶか、自主的に管理人の言いつけに従いたくなるかを教えてくれた。いまでも、姫は管理人が誉め言葉を忘れたり、お礼の品がイマイチだったりすると、へそを曲げて、管理人が肝心のことを忘れていると態度で示す。その高ピーな態度のおかげで、管理人はきちんと犬を誉めることが習慣となった。

姫が管理人をアルファとして認め、あとについてきてくれるのは、管理人が姫を喜ばせることのできる楽しい飼い主だからなのだ。だからその努力を怠った瞬間、姫はあっさりとそっぽを向く。良い具合になってきたなと気を抜いた瞬間に、問題行動が再燃するのも、よくよく考えてみると管理人自身が面倒になって手を抜いたり、まあいいやでやるべきことを怠ったりしているのだ。姫の出すリマークはそう言う意味で、とにかくすごくわかりやすい。

そして、なにより姫が管理人に教えてくれたことは、一緒の生活をとにかく楽しみましょうということなのだ。お互いにストレスなく楽しく一緒に過ごせるのがなにより。そのために、お互いに納得できるルールを決めて、それに従って仲良くやっていきましょうねということなのだ。

Been there, done that.

管理人はしつけなんてふつうの犬には必要ないとなにもせずに、けっきょくさんざんな目にあって苦労したこともあるし、マニュアルを信じて、それ通りにやったのに巧くいかなかったという経験もしている。だから、失敗してたいへんなことになっている飼い主さんの気持ちもわかるし、巧くいかなくて苛々する気持ちもよくわかるのだ。だが、どんなダメ飼い主であっても、じつは最低限犬と楽しく巧くやっていく方法というのはかならず見つけられる。これまた経験から自信を持って断言できる。ちょっとした工夫と、正解を探しまわる努力と、あとは目の前のワンコの出すサインをきちんと見極めてそれをちゃんと理解することさえできれば、どんな飼い主だって犬と楽しく暮らしていくことはできるのだ。

だから、目の前の名トレーナーの意見を聞きなさい。彼らがなにを望んでいるか、それを自分が望んでいることと同時にできる方法を考えなさい。悩んでいる新米飼い主さんの苦労を見るたび、管理人はそう言いたくなるのだ。最後に答えを教えてくれるのは、他でもない目の前にいるその毛むくじゃらの相棒だよ。それを忘れなければ、どんなことでもいつかは乗り越えられる。
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戦うべき相手はだれ?

また近所に住む友人の家に遊びに行ってきた。去年からトイプードルを飼っているというあのうちである。

先日、初めてお邪魔したとき、玄関から一歩出たとたん吠え癖がひどくて困っているという相談を受けて、吠える原因はお出かけができて興奮しているせいだから、こうすれば直せるはずという簡単なアドバイスをしたのだが、その成果がどうなったかようすを見に行ったのだ。

幸い、興奮吠えのほうは前に比べるとかなりよくなっていたのだが、なんと、この家では犬と飼い主がボスの座を巡って闘争を繰りひろげている最中だった。

「わがままに育てすぎちゃったから、いま覇権争いで戦ってる最中なの!」

おやまあ、それは(^_^;)

一頭飼いで初めて小型犬を飼う場合は、まあこれくらいはふつうかな、という程度のお嬢さま度だったのだが、最近わがままがとくに目につくようになったのだそうだ。飼い主自身が、おや? と思いはじめたのに合わせるように、獣医さん(それともトリマーさんだったかな?)からも、ちょっと最近わがままが過ぎるので、少し厳しくしたほうがいいですよ、てなことを言われてしまったらしい。

というわけで、アルファの座を巡って闘争とあいなったわけだが、そのようすを見ていて、「あらたいへんね」と他人事として思うのではなく、犬の訓練ってなんだろうと深く考えさせられてしまった。

ちなみに、覇権争いのメインは、基本的な服従訓練である。呼んだら来るとか、スワレと言ったらオスワリするとか、そういう一般的な方法だ。もし言うことを聞かなかったら、犬を無視するというごくごくありきたりの方法で、それはもちろんまちがいじゃないし、人間大好きのワンコなので、たぶんこのやり方が正解なのだと管理人も思う。

ただ、端で見ていて思ったのは、犬も人間も、その新しいルールに戸惑っているなということだ。犬にしてみれば、いままでは好き勝手にできたのに、とつぜんあれこれ要求をつきつけられて苛立っている。一方、飼い主のほうも犬が思い通りに動かないのでストレスを溜めている。ある意味ダウンスパイラルに入っているのだが、端から見ていると明らかにわかることが、当人たちには見えないことがよくある。

ちなみに管理人にも経験がある。なにをやっても姫の問題が改善しなかったとき、やっぱり同じようなダウンスパイラルにはまった。とにかくなにを言っても犬が言うことを聞かないせいで、どんどん苛立ちが募っていって、当然のことながら誉めたりご褒美をあげるより、無視する時間が長くなるし、こちらの口調もきつくなる。犬の目から見ると管理人は常に怒っている状況で、楽しくないから、とうぜん姫のほうはますます言うことを聞かなくなる。

たとえば、現在その友人宅のワンコは、飼い主が呼んでもぜんぜん近寄ってきやしない。ところが管理人が呼ぶと目を輝かせてぶっ飛んで来るのだ。そのようすを見て、飼い主は深いため息をついていた。

「どうして管理人さんのことは、会ったばかりなのにボスとして認めるんだろう?」

管理人が呼ぶとワンコがぶっ飛んでくる理由は、犬にとって管理人がただの良い人以外の何物でもないからだ。管理人はワンコに会いたいから遊びに行く。とうぜん呼んで近寄ってきたら犬が喜ぶことしかしないのだ。遊んでやったり、グリグリしてやったり、人間のほうも楽しくてしょうがないので、そのあいだじゅう「良いコ、良いコ」を連発する。ワンコにとって、管理人に呼ばれるということは、その結果楽しいことしか起こらない。だから、犬は管理人が呼ぶとかならず寄ってくるのだ。ところが、現在闘争中の飼い主のほうは、一度呼んで犬が近寄ってこないと頭にくる。とうぜん、二度、三度と呼ぶうちに自然と口調がきつくなってくる。結果、犬は「ママはいま機嫌が悪そうだ」と思って飼い主のそばによるのを躊躇する、そうするとますますママは苛立って、口調がきつくなって……というダウンスパイラルにはまるのだ。

世間一般の犬のしつけのノウハウからは外れる意見かもしれないが、人が家族という群のなかで犬の上に立つための秘訣というのは、じつはちょっとしたことなんじゃないか、と管理人は思っている。楽しい遊びを考えだしてくれるとか、美味しいものをくれるとか、ともかく犬がこの人のうしろをついて回ると、嬉しいことが起こると思いさえすれば、犬は自然に人間に従うようになる。もともと、犬というのは群の第二位以下にいたい動物なのだ。だから、家族の群のなかで犬の上に立つこと自体、じつはそれほど難しいことではない。

てなことを言うと、犬に飼われている飼い主さんたちはきっと目をつり上げて怒るだろう。

「んなことはわかってるわよ! だから、どうしろっていうのよ!!!」

こうすれば一発で犬の問題行動が直りますなんていうどこの家にもあてはまる絶対的な方法なんて、この世の中にはないと管理人は思うのだ。飼い主と犬の性格や環境や色んなものを考慮して、ベストの方法は見つけられるが、それはあくまでそのペアにあったやり方であって、他のペアに使えるかというとそうじゃない。そこが、犬の訓練の難しさでもありおもしろさでもある。すべての飼い主がオレ流のベストの方法を見つけださねばならないのだ。

ただ、一つだけ、管理人が実体験として言えるのは、人間が犬の上に立つという状況は、リーダーという言葉から連想されるような上下関係、絶対的な主従関係ではなく、仲間のなかで、たまたま群を引っぱっていくのが人間であって、それにくっついて歩くのが犬という、比較的曖昧なものなんじゃないかなということだけだ。競技会に出るような犬や、いわゆる使役犬の場合はちがうのかもしれないが、少なくともペットとして飼う分にはそれで良いんじゃないかと管理人は思っている。

具体的に言うと、飼い主と犬の関係というのは、親子関係や上司と部下の関係ではなく、仲間うちで、たとえば、「これからどこに行く?」となったときに「きょうは、カラオケ行っちゃう?」と言い出す人間と「いいね、いいね、行きましょ♪」とのる人間みたいなもんなんじゃないかな、と思うのだ。人間だって、何人か集まると、かならず○○しようぜ!って集団を引っぱっていく立場になる人間が出てくるでしょう? ようはアルファってあれなんだと思うのだ。

ちょっと待ってよ、だって、時には犬が嫌がることをさせなくちゃならないこともあるじゃない、と賢い犬飼いの皆さんは、きっとここで思うだろう。たしかに、犬にとっては嬉しくないことだってときに飼い主はやらせなければいけない。たとえば耳掃除とか、ブラッシングとか、爪切り、シャンプーなど嫌いなコは嫌いだしね。あとは薬をのませるとか、散歩自体が修行なんてコだって世の中にはいる。たしかに、仲間うちのリーダーでは、相手の嫌がることを無理やりさせることはできない。だが、それじたいは嫌だけど、一緒にいるのが楽しいからそこは我慢しようって思わせることはできるのだ。「わたしはオンチだからカラオケは嫌い」って人だって歌うことを強要されずに、その場の雰囲気で楽しめるのなら、好きじゃないカラオケにだってホイホイついてくる。

で、けっきょくなにが言いたいのかと言うと、犬の群におけるアルファというのは、集団のなかで自然発生的に生まれるものだということだ。強制的に、尊敬しろ、服従しろ、無条件にわたしの言うことを聞け!といってアルファになるものではないし、そんなことをしても形だけのボスにはなれても、けっきょく仲間に信頼してはもらえない。要は、犬の群のアルファというのは、民主主義の究極の産物なのだ。群の仲間に信頼され、愛され、尊敬されて初めて、その群のアルファとして君臨することができる。

そう考えると、犬と群の覇権争いをしているときに、戦うべき相手は犬ではないのだ。アルファになりたい飼い主が戦って打ち勝たなくてはならない相手は、自分のなかの苛立ちだったり、このくらいはいいかな、と許してしまう甘さだったり、そういう自分自身なのだと思うのだ。

犬と戦う状況は、決して楽しいもんじゃない。負けちゃいけないと意地の張り合いになるのも気苦労が多い。そうなると、だんだんと犬と一緒にいることじたいが楽しくなくなってきてしまう。楽しくなければ仲間ではいられないし、楽しくなければ犬を飼っている意味もない。

「あまりお互いにストレスがたまるようなら、無理しないでテキトーにやったほうがいいよん♪」

これってあまり良いアドバイスじゃないかもね、と思いつつ今回は最後にそう言い残して帰ってきた。

犬の訓練ってやっぱり難しい。だが、だからこそ、おもしろくて病みつきになってしまうのだ。

20071201a
次の選挙では、夜中におやつを投げてくれる
天ちゃんに、ぼくは一票投じようと思います。

おい!
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スーパードッグにはほど遠い、おとぼけワンコたちと暮らすフツーの飼い主


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