光陰矢のごとし……なんだよね
2007 / 10 / 02 ( Tue )
朝、犬たちを連れていつもの公園を徘徊していたところ、前からバギーを押したお母さんがやってきた。管理人は人間の子育てをしたことがないので、乗っていた子どもがどれくらいの歳かはわからないが、奇妙だなと思ったのは、そのお母さんがずっとケータイを片手に無言でパチパチやっていたからだ。

あっちはれっきとした人間相手に、それでも子どもを無視してケータイに夢中になっているというのに、こちらは毛むくじゃらの四つ足動物を相手に、あれこれ話しかけているのが、端から見たらすごく奇妙だろうなと思って、ついつい笑いがこみ上げてきた。

管理人などはふつうに犬猫に話しかけるが、ペットを飼っていない人から見ると、これほど奇妙なことはないらしい。

「カイちゃん、きょうも鯉見に行く?」

「あっ、赤い鯉さん、あそこにいるよ! ほら、カイちゃん、こっちこっち!」

「あぁ〜、姫ちゃん、お友だちが来たよぉ〜。仲良く遊べるといいねぇ〜」

周りに人がいるときは、さすがにちょっと声を潜めるが、基本的に管理人は散歩のあいだじゅうあれこれ犬に話しかけている。言葉もわからない犬に、何で話しかけるのかと思われるかもしれないが、犬だって猫だって、しつこく話しかけていれば、ある程度こっちのいうことがわかるようになる。むろん、フルセンテンスを理解するわけではないが、動物だって単語だけならけっこう覚えられるのだ。「おやつ」「散歩」「ご飯」「良いコ」などのお気に入りの単語は、教えなくてもいつの間にか覚えてしまう。他に自分の名前も含めて、管理人とか妹とか、家族の名称も覚えている。これってたぶん子どもが言葉を覚えるのと同じなのだと思うのだ。何度も繰りかえし聞いているうちに、物を現す「言葉」が記憶のなかに刻みこまれていく。

たとえば、子どもが外国語を学ぶとき、まず最初にヒアリングができるようになる。はじめは、単語の切れ目も聞き取れないが、やがて、相手の言っているちんぷんかんぷんのセンテンスのなかで、知っている単語だけ聞き取れるようになる。そのうち、だんだんと知ってる単語が増えてきて、ある時、いきなり堰を切ったようにふつうに外国語をしゃべり出すのだ。

犬猫の場合は、しゃべり出すところまではいかないにしろ、ヒアリングだけはかなりできるようになる。そう信じているから管理人は、変な人だと思われても、やっぱり犬猫に話しかけるのだ。

ディーが思いの外早く逝ってしまったせいだろうか、近ごろ管理人は何気ない毎日の散歩でもたっぷり楽しみたいなと思うようになった。だって、動物の寿命は短いから、一緒にいられる時間はほんとうに短いのだもの。同じように、子どもが子どもである時間もじつはすごく短いのだ。その時は、面倒くさい、手がかかる、早く成長してくれと思うかもしれないが、いざ大きくなってしまうと、けっこうそのころが懐かしくなるらしい。

数年前、友人が甘ったれの息子のことを「いつでもお母さん、お母さんでくっついてくるし、1日中あれこれ話しかけてくるのがうざったい。早く大きくなってくれないかしら」とぼやいていた。管理人はそれに対して「10年も経てば『うるせえ、ババア』しか言わなくなるから、心配いらないんじゃない?」と心優しいアドバイスをしたのだが、この前久しぶりに会ったところ、小学生になったその息子は、まだ『うるせえ、ババア』まではいってなかったが、友だちの前では、お母さんと呼ぶのも恥ずかしがるくらいまでには成長していた。「この前、手をつなごうとしたら、あいつ、嫌っとか言うのよぉ〜(涙)」親なんて、じつに勝手なものである。

だからさ、もったいないと思うのだ。連れてるのが子どもでも犬でもさ。色々話しかけて、コミュニケーションをとって、一緒に笑って楽しめる貴重な時間を無駄にするのは、ほんとうにもったいないと思うのだよ。

そう考えると、散歩も義務じゃなくて楽しくなるしね。

ペットとの暮らしも、子育ても、光陰矢のごとしなのだと思うのだ。ただ、そう心の底から思うのは、その時間が終わったあとのなのかもしれないが……

20071002a

テーマ:わんことの生活 - ジャンル:ペット

23:13:49 | 管理人の独り言 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム |