ウルトラマン幻想
2007 / 03 / 04 ( Sun ) こうしてみると、AAが犯した失敗は現在のこの国の動物保護活動が抱える問題のまさに縮図だと管理人は思っている。その根底には、「自分たちは良いことをしているのだから」という甘えの構図が見え隠れする。
「良いことをしているのだから、これくらいは大目に見てもらえるだろう」 「良いことをしているのだから、こんなわたしを批判するのはおかしい」 「良いことをしているのだから、黙って見逃してくれてもいいだろう」 だが、それじたい大きなまちがいなのだ。良いことをしているというのは、あくまでも保護団体側の言い分であって、世の中にはそれを良いことだと思わない人だって存在する。たとえそれがほんとうに「良いこと」であっても、世間一般の基準に照らし合わせて非常識な行いは批判されてもしかたがない。ましてや、そうなった事情を誠心誠意きちんと説明せずにうやむやにしてしまったら糾弾されるのはやむを得ない。 だから、管理人は別にAAを擁護するつもりはないが、かといって息の根を止めるまでたたきつぶせとも思わない。最初に書いたとおり、AAがどうなろうと、体制に影響はないと思っているからだ。 ただ、おそらく他の団体なら二の足を踏んだであろう今回の広島の現場に乗り込んでいって、ともかく500頭もの犬を一時的に保護し、その多くに新しい飼い主を見つけるきっかけとなった活動に関しては、それが金目当てであろうが、功名心に突き動かされたものであろうが、ともかく一定の評価はすべきだと思うのだ。 そして、AA側の問題はさておいて、管理人も含めて傍観者として見ていたわれわれの側には、ほんとうに何も問題がなかったのだろうか?と思う部分もじつはある。 具体的にいえば、保護団体というものの存在を、すべての悪を退治するウルトラマンだと信じていた節はないか、ということだ。 たしかに、保護団体はこういった現場に乗り込んでいって、その場の責任者(こいつがバルタン星人ね)と交渉し、犬の所有権を放棄させてそれぞれの犬に新しい飼い主を見つけるカッコイイ役柄を演じる。だから○○という団体が現場に入って交渉していると聞くと、これですべては万々歳だと素人としては思いこむのだが、じっさいはそんなに単純な図式では済まないのだ。たとえば、不適切多頭飼いの現場処理の場合、何年もその場に通って地道な交渉を続ける場合もある。一度に引き出せる犬の数は数頭で、そんなことを何年も続けてようやく1カ所の処理が終わるのだ。 それはとてつもなく地道な作業だ。何も知らない人たちは、なぜぜんぶ一斉に助けてやれないのか? その場に残されたコたちが可哀想だと騒ぎ出す。だが、じっさいは引きだしてきたとしても、そのコをおく場所がないのが現実だ。ましてや子犬以外はなかなかもらい手が見つからない現状では、やむにやまれぬ事情で見殺しにせざるをえない事態だってありえるのだ。 それを、ただ一方的に、可哀想だ、ひどいと叫ぶのはあまりにも偽善的だと管理人は思うのだ。いわば。テレビで戦争の中継映像を見ていて、敵を殺す兵士に対して、むごい、残酷だと叫ぶのと同じようなものなのだ。相手を殺(や)らなければ自分が殺される。その現場にいなければ、決してわからない事情というものがあるはずだ。そのときの、本人の気持ちや行動の理由など、あとになったら本人だってわからない場合もあると思う。 にもかかわらず、今回の広島の事件では驚くほど多くの評論家が登場した。そしてその権威に多くの人が振り回された。ウルトラマンが着ぐるみを脱いでトイレに座っているところが映ってしまったせいか、幻滅した人たちが声を限りにバッシングを始めたように管理人には見えたのだ。 だがね、しょせん最初からウルトラマンなんていないのよ。 可哀想な犬たちを助けて、幸せな家庭に送り届けてハッピーエンドなんていう心温まるストーリーじたい、動物保護活動のほんの一面でしかないのだよ。 でも、みんなそれを期待したよね。正直いって、管理人も期待した。できれば1クルー(3ヶ月)ぐらいで片がついてくれればいいと思ったよ。だが、もちろんそうはならなかった。おまけにウルトラマンがウルトラマンではなかったわけだ。 保護活動をしている人たちは、もちろんそういうことは黙って胸の中にしまっているけれど、じっさいはきついこと、汚いこともたくさんあるのだ。あって当たり前でしょ。だって命に関わる真剣勝負なんだから。きれい事だけでは済まないさ。動物の保護活動は、テレビのなかの作り事じゃない。じっさい、目の前で消えていく命を必死になって助けている人たちがたくさんいるのだ。 今回のAAがそのひとりだったかどうか管理人は知らないが、そういう地道な活動をきょうも続けている人が少なくとも日本中にたくさんいる。派手にマスコミにとりあげられることなどないし、ただ1頭の名もない犬を助けて新しい飼い主さんに届けるだけのほんとうに地味な活動だ。まだまだやりかたに問題はあるし、改善できる点もあるけれど、そういう人たちがいてくれるだけで、毎年数百の命がじっさい救われているのだよ。 今回の広島の一件は、動物の保護活動とはどういうものなのか、今後どうすべきなのかという数々の問題点を提示したと管理人は思っている。これを教訓として改善していくか、はたまた同じあやまちを繰りかえすかは今後保護活動に携わっていく人の腕次第だが、単にAAが悪かったという結論や、保護活動じたいが悪の根源といったような議論にはしたくないと思うのだ。それよりもっと悪いのは、ウルトラマン幻想に踊らされ、幻滅した人たちが、今回の広島の件を最初からなかったことにしてしまうことだろう。 今回バナーの配信を停止したことで、管理人のなかでは今回の広島事件はいちおう終わったことになる。だが、あの現場から犬をもらって帰った人にとって、広島レスキューはそのコたちが虹の橋を渡っていくその日まで続いていく。あの現場に入り、さまざまな思いをしたボランティアさんのなかでも、きっと完全に忘れ去ることなどできないだろう。 だから、周りで見ていただけのわれわれも、やはり忘れてはいけないのだと思う。どこかのサイトで読んだ言葉だがまさに「ノーモア広島」だ。1カ所に数百頭の犬が閉じこめられ、繁殖のための機械として酷使されるようなことが、この国からなくなることを切に願うべきだと管理人は思うのだ。この国で、動物保護活動など必要なくなる日が来るように、毎日地道なことでもできることからやっていかねばならぬと思うのだ。 やはり、決して忘れてはいけないと思う。 No More 広島 テーマ:【緊急」広島ドッグパークレスキュー450頭 - ジャンル:ペット |
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