ゆとり教育
2007 / 02 / 23 ( Fri ) 管理人には子どもがいない。人間の子どもを育てたこともないので、教育問題に口を出すのはどうかなと思いつつ……
最近ニュースを観ていると教育再生云々の議論を毎日やっている。どうやら世間の意見は「ゆとり教育」はまちがいだったという方向に傾いているようだ。それを見ていて、管理人は「なんだかなぁ〜」と思っているのだ。だって、ゆとり教育そのものがまちがいだったわけじゃなくて、社会や人の考え方がゆとり教育が目ざすものとは別の方向を見てるんだもの。 ゆとり教育が目ざしていたのは、しゃにむに知識を詰めこむだけではなく子どもに考える力をつけることだし、それじたいはぜったいにまちがいではないと管理人は思うのだ。思考力をつけることで、判断力や応用力、創造性が養われるのは事実だし、きちんとやればおそらく「ゆとり教育」世代から将来ノーベル賞受賞者が山ほど出るみたいなすごいことになっていたはずだ。 ところが、じっさいは「ゆとり教育」世代は学力が低いと陰口を叩かれる。ここで問題になるのは、じゃあ「学力」って何なのさ? という定義の話だろう。 たしかに知識が豊富という意味では、台形の面積の出し方も知らない、円周率は3と覚えている「ゆとり教育」世代は、他の「詰め込み教育」世代に比べたら劣るのだろう。だが、ほんとうに考える力があるのなら、台形の面積が知りたいと思ったら、何とかして台形の面積を割り出す方法を考えるだろう。円周率が何かという疑問を持てば、自力で調べてやがて円周率がただの3ではなく、じっさいは3.14159265358……と永遠に続いていくことに気づくだろう。 ところが、現在の日本人は物知り=学力という判断基準しか持っていない。もっと露骨な言い方をするならば、一流大学に入れば頭が良いと勘違いしている人が多いのだ。幻想を壊して申し訳ないが、某有名国立大学出身の馬鹿者なんて山ほどいるからね。人生18年間を受験のために費やして、大学入ったとたんに燃え尽きてどうかなっちゃう奴らだって腐るほどいるし。 ほんとうにゆとり教育を効果的に推進したいのなら、学力の定義を変えてからにしなければ意味がない。思考力というのは数字で表せるものではないし、ましてやたった1日の受験で合否を判別するような方法では評価できるものではないはずだ。 にもかかわらず、ゆとり教育の先には一発勝負の大学受験が待っている。ゆとり教育だ、思考力をつける教育だという建前は置いといて、子どもたちは東大一発合格! 早慶現役合格! とねじりはちまきでやっているわけだ。そうなると、受験に成功するためにはいまの学校教育では足りないという話になる。で、ゆとり教育でできた余暇を使って子どもたちはせっせと塾に通っている。塾に通う経済的余裕がない家庭の子どもは、学校の授業にすらついていけなくて(子どもを持つ友人に言わせると、学校の授業だけではどうやら内容を理解するのは不可能らしい)いわゆる落ちこぼれの道を辿る子が多いという話も聞く。うぅ〜ん、何かが変だね。 正直、こんな妙な構図ができあがっているのに、それを「ゆとり教育」はまちがいだった、やっぱり「詰め込み教育」に戻るべきだ! と騒いでいることじたい、管理人の目から見ると妙なのだよ。 とはいっても、そういう方針を打ち出す政治家や官僚といったお偉い方々は、皆さん一流大学ご出身のエリートさんなわけだし、こういう思考力ゼロの政策を毎回打ち出すあたり、やっぱり「ゆとり教育」をきちんとやるべきなんじゃないかって管理人などは思うのだが…… で、子どものいない管理人にとってしょせん人間の教育問題は他人事でしかないわけだが、なんでそれでも吠えているかというと、現代の教育再生の問題、犬の世界でも一緒だなぁ〜とつくづく思っているからなのだ。 (このつづきはまた明日) |
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